クアラルンプールのけぞる
カンチェルスキス





 立ち食いスパゲティ屋のことを生まれて初めて考えた。立ち食いとくればうどんだ。立ち食いときて、アインシュタインとくれば、それは立ち食いアインシュタインのことだ。まあ、アインシュタインが立って何か食ってるってことだろう。立ち食い舘ひろしについても同様のことが言える。ならば、立ち食い水族館はどうなる。ほとんどの確率で、それは共食い水族館より品のある水族館と言えるのではないか。というのも、共食い水族館は水槽が血に染まり、おそらくでっぷり肥えた鮫しか泳いでないからだ。
 おれは世間が狭いから、知らない間に立ち食いスパゲティ屋はすでに本格始動してるかもしれなかった。「清原、今シーズンに向けて本格始動!」スポーツニュースのトピックみたいに全国の至る所で本格始動してるのかもしれなかった。駅前ロータリーの消費者金融の広告看板みたいに。例えば、漁を終えたイカ釣り漁船の漁師たちが、漁港の片隅のトタン屋根の小屋の中のカウンターに肘をついて、大の苦手であるイカ墨パスタを何とか克服しようと頑張ってるかもしれなかった。その割には見かけない。駅前にぶらって出て行っても、あるのはマクドナルドやファミリーマート、セブンイレブン、学習塾、銀行の支店、デビッド・カッパーフィールド、餅つき機、アロハを着て社員にアロハと挨拶する清掃女、カレイを握ろうとすると必ず突き指を繰り返す寿司職人、ホームベースと一塁ベース、ぐらいしかなかった。立ち食いスパゲティ屋なんかどこにもなかった。以前存在してたとも思えない。交番に行って訊ねると、黒髪ショートの女警官が答えてくれた。
「長いほうが似合うかしら?」
「‥‥‥‥うん、いや」
 気のない返事をすると、女警官は急に表情が変わり、突然怒鳴りだした。
「ねえ、わたしを逮捕して!ねえ、わたしを!罪深いわたしを逮捕して!ねえ!」
 ラーメンどんぶりにカツオブシに醤油を垂らしたものを与えると、女警官は落ち着いた。両手を使ってがつがつ食べながら悲しそうに言う。
「ごめんなさい。先月のマラソン大会でゴールのテープを切る前にテープが片付けられ
たことを思い出しちゃって。民家の軒先で干し柿を干すのに使われてたわ。ショックだっ
たの。初めての一位だったのに」
「クアラルンプールのけぞる」
 おれが言ったら、女も答えた。
「ハッピー四駆」
「生まれ故郷は?」
「越後」
「だったらセルジオ」
「そうなの辛口」
「フットサルでは意外に俊敏」
 なかなかいい感じだったが、カツオブシがなくなると女警官がまた同じことを怒鳴りは
じめたので、拍手が欲しくなって、その頃からおれは駅前で弾き語りギター売りをはじめたんだ。立ち食いスパゲティ屋はなかった。あれかな?と思って近づいて見ると、アラーキーが裸の女を天井に吊るして写真を撮る写真館だった。なんで一見したときにおれは気づかなかったんだ。立って食えば違う食い物に進化するわけでもなかった。スパゲティはスパゲティのままだった。うまくもまずくもならなかった。もちろん変化すりゃいいってもんでもない。うどんだって同じことだろう。女座り食いスパゲティ屋なら少し話が変わってくるかもしれない。たいした期待もできないが。







散文(批評随筆小説等) クアラルンプールのけぞる Copyright カンチェルスキス 2004-02-14 16:48:10
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