陰翁
日雇いくん◆hiyatQ6h0c

 ぼおとしながら、顔を正面から左の方へ廻し、窓の外をなんとなく眺めていると、何かが動いていた。
 うすぼんやりとしていたからよく認識していなかったのだけど、何故だか、それだけは認識できたのだ。
 不思議に思い、しばらくじっとそれを見つめていると、それはどうも空気の様だった。風になびいて、何かが動いた様子だった。
 風の色をそれとなく見分けながら、さらに注視していると、どこかの山の向こうから呼び声が聞こえる様に、微かながらふぁ、ふぁ、という感じの音がする。遠くから聞こえる様でもあり、近くで何かが鳴っている様でもあった。
 やがて、そのわずかな振動が、音の大きさはそのままで、頭の中でぐるぐると響いてくる風になった。そして響きが大きくなるにつれて、ただ椅子に座って机に肘をついているだけの体がゆっくりと、しかし嫌な感じで廻っていくのを、別の意識がまるでCCDキャメラのモニターにでもなったかのように映し出しながらも、それを実感している意識の方が、
──耐えろ、耐えろ……──
と力強く命令していた。従わなければ気絶してしまうか吐き戻す様な、それでいて通常の、例えば乗り物酔い等ともまた違う忌まわしい回転運動。いつしか拳を固くして、前かがみになっているしか成すすべがなかった。
 どこかに気をやってしまいたくて辺りを見回そうとするが、もう先ほどの風もどこかへ気まぐれにいってしまい、見えていた色もいつしか消えていた。他には見慣れた風景だけがただあって、様子見を決め込んでいる。堪え、堪えて、ゆっくりとしか過ぎない時間に焦れながらも、ようやく悩まされない心持になった時には眠ってしまっていたらしく、気が付くと、雲に遮られながら照らされていた日光が消えていて、窓に薄赤い名残が、地平線に這いつくばりつつ広がりながら、ただ残されるだけだった。

 何の気なく、ふとした拍子にこうした幻惑に遭うので、いつも外には出られなかった。
 出たくても、身体が出してはくれなかった。
 ただ色のついた風が、語るでもなくこちらに顔を出すだけだった。
 まるで、少しだけ意地悪な、悪戯っ子のように。


散文(批評随筆小説等) 陰翁 Copyright 日雇いくん◆hiyatQ6h0c 2006-05-08 12:31:09
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