青色の銀河
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青色の銀河

青色銀河団さんという人がいて時々作品を拝見させてもらう。青色さんはどこか自分の作品に不満だと言う。”下手くそだなあ、どうしてこんな詩がいいと思ったんだろうって。”いつもとても丁寧に書いてある。メイルを頂いた事があって辞書を必ず調べる方らしいというのも知っている。大分以前、僕の書いたものの一つを何度も読んでくださったことがあった。ああ、全行読んでもらったんだなあとそのとき大変感謝した。僕はいつも見てもらっていると思っていたから。ネットをだんだん舐めなくなった、ならざるをえなかった理由にそんな経験は影響している。青色さんの作品にもどって、僕には青色さんがつかみたいところ、書きたいところ(詩にしたいところ)はよく分かるような気がする。ある僕の勘として、意見ではない。そういう想像乃至は雑感を僕は話している、実際とは違うだろう。その想像の線の上で話を続けると、僕は僕の想像しうる青色さんの詩はよく解る。想像の上では、青色さんの矢の的と僕の矢の的は良く似ている、ところがある、もあるように思う。だから撃ち損なったときの気分の悪さはよくわかる、ところがある、もある。ところが撃ち損なえばいいが、中ったとき、それが、いつもずれるとき、それは、はずれているけれどもずれていないとき、所謂的外れの命中のときよりも限界を感じてしまうものだろうと想像する。僕はその実感はあまりない。想像上の想像をしている。いつもずれるその1ミリが右でも左でもなくずれる1ミリなのは苦しいんだろう。でも、それが詩だ。僕はそう思う。その1ミリを克服するようなことでもあれば消えるものもある。それが詩だ。ふと天使がさらっていってしまった心を悪魔はいつも泣いて見送る。そういう青色さんの詩はきっとよくなるんだろう。この手の(青色さん風の、あるいは似ているといった僕風の)詩はたくさんある。人気のある手のものでごろごろと言っていいほど。その中で青色さんのものは瑠璃色で非常にきれいだ。僕はときどき拾って読む。そして捨てる。だから青色さんは捨てないで欲しい。最後の一人は拾う義務があるだろう。また、そういう人だと思っている。だから天使がおりてきたときに、神様の側に回って、うっかり相手に渡さないで欲しい。まあ、そこにつっ立ってて欲しいと思う。できれば、ほがらかにさ。そんなことできるわけないか。でも、今のところは叶わない夢として。青色さんとは別の僕の寂しい瑠璃色の夢として。


散文(批評随筆小説等) 青色の銀河 Copyright m.qyi 2006-05-04 11:45:01
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