「あたりまえの日々」
服部 剛
一
仕事から帰ると
僕の机の上に本の入った封筒が置かれていた
裏に書かれた名前を見ると
一昨日
(
おととい
)
「 周作クラブ 」の会場を探し歩く僕に * 1
「 〜ホテルは何処ですか? 」
と尋ね、共に集まりに参加した人からだった
ハサミで切った封筒の頭から本を取り出すと
「 あたりまえの日々に帰りたい 」 * 2
という表紙の題字が目に入った
頁
(
ページ
)
を開くと
医師に白血病の宣告を受けた主人公は
夕陽の沈んだ暗い部屋で
どこまでも深い闇に沈んでいた
二
一昨日の集まりの後
皆で入った喫茶店で
僕の向かいに座った初老の婦人は
眼鏡
(
めがね
)
の奥の瞳に涙を
溜
(
た
)
めて
「 今度の金曜日、
まだ四十前の娘が
乳癌
(
にゅうがん
)
の手術を受けるんです・・・
小さい子供もいるんです・・・祈ってください・・・ 」
と胸に詰まった想いを打ち明けた
三
喫茶店を出て皆と別れ
参加した朗読会から帰る電車の中で
遠藤周作の「 私が棄てた・女 」の続きを読むと * 3
瀬病
(
らいびょう
)
になり隔離施設へと歩く主人公のミツが
愛する人の名を呼び「 さいなら・・・ 」と言っていた
四
電車を降りるとすでに午前
零時
(
れいじ
)
を過ぎていた
僕は何故かふらふらと帰る方向と逆の西口へと
人気
(
ひとけ
)
ない駅の構内を歩いた
駅を出て、川に架かる橋に
佇
(
たたず
)
み、
静かに流れる夜の川の向こうのバス停を見つめる
( 毎朝出勤する僕が
( 追いつく弱さを振り払おうと気を入れた表情でバスに乗り
( 職場の老人ホームへと運ばれる後部座席に座る後ろ姿
五
こみ上げて来た涙を瞳に滲ませ
橋を去った僕は再び駅の構内に入り階段を上ると
額から血を流した
大柄
(
おおがら
)
な酔っ払いがふらふらと下りて来て
階段の途中でへたりこんで腰を下ろした
「 もう電車ないんですか・・・? 」
「 はい・・・けが、大丈夫ですか・・・? 」
男の顔を見ると片目が失われていた
「 俺は若い時から失明しちまってよう、
義眼もめんどくさくて自分で外して捨てちまってよう、
誰も頼りにできねぇから、
自分でなんとか
稼
(
かせ
)
いでここまでやってきたんだよ 」
六
明日の朝も
背負ったリュックサックの中に
一昨日出逢った人が送ってくれた本を入れ
いつもと変わらぬ出勤者の群に紛れて僕は
薄汚れた駅構内の床に響く
単調な無数の足音を聞くだろう
( 杖をつく、
怪我
(
けが
)
をした中年を追い抜いて
( 人込みの隙間を走り抜ける学生に追い抜かれ
ふと見下ろした足元に落ちている
破れた切符を無数の足が踏んでゆく
「 あたりまえの日 」の上に明日も僕等は立つだろう
駅構内を出て、
川に架けられた橋を渡り
いつものバス停へと続く歩道沿いには
紅と白を敷き詰めて咲くツツジの花々
仄
(
ほの
)
かな陽射しを首筋に受けて
職場へと連れてゆくバスに向かって
明日も僕はゆくだろう
不器用な勇み足で
* 1「 周作クラブ 」
・・・故・遠藤周作氏と親しかった人とファンの会。
* 2「 あたりまえの日に帰りたい 」
・・・小林茂登子 著(時事通信社)
* 3「 私が棄てた・女 」・・・遠藤周作 著(講談社)
自由詩
「あたりまえの日々」
Copyright
服部 剛
2006-05-01 01:29:51
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