オバケちゃんへ
モリマサ公

先週教室のみんなで飼っていた「リス」が死んだ
死んだというか「窓」から逃げたのだ
クルミを食べるときに動くほっぺや小さな歯
かごの中を走ったりしているときの爪のかりかりする音
たいそう人気者の「リス」だったのに突然いなくなってしまった
教室で飼っている魚や虫は死んだりいなくなったりする
お家の事情で転校したり
わたしたちも学年があがればこの教室からはいなくなったりする
連絡帳にいなくなったことについての悲しみを丁寧に書いて先生にほめられるこもいるし
ただじっといなくなった窓をみているこもいる
図書係のT堂さんはそういうときいつも黒板にみんながみえるように
「さよならリスちゃん大自然がつらかったらまたこの教室でみんなと遊ぼうね」
とかかく
するとこころのやさしい子たちはみんなT堂さんのところにいって
「きっと楽しくやってるよ」
「またあそびにくるといいね」
とかいう
あたしはそういうのみて
「ポーズ」とか「リアリティ」とか「想像力」とかそういう言葉を考える
今いる自分たちがこの場所で悲しみをポーズすることは
窓からいってしまったリスにはまったく関係ない
でもT堂さんにとってそれをすることは生き甲斐なのでT堂さんにとっては必要なのだろう
わたしはリスが行ってしまったことが本当にさみしかったので
それを作文の時間に物語にかえて先生に提出した
先生はそれをよんで最後のところにさんかくをかく
わたしはその物語をかいた気持ちでこれからずっとすごす
リスはもう二度と飼ったりしない
ちっぽけなこんなケチなかごの中で
「かわいー超かわいー」と四六時中みられることは「リスらしさ」に欠けるし
教室の片隅で本物のいきている「リス」にあえたことは
わたしにとってとてもすばらしかったとおもう
あのやわらかいブラシのようなしっぽのかごからはみでたかんじとか
木の上でかけまわるものを生で見れた事にとても感動した
だから
黒板でうすれていく
「さよならりすちゃん」の文字はうらびれてかなしい繁華街のカンバンのようにどぎつくかんじられ
そこが今の自分にとってリアルに欠けるというと
T堂さんは怒ってしまった
今の気持ちを手紙を書いて渡してみたけれど
T堂さんはそこに存在していないかのようにふるまった
それから教室の中で楽しそうにするT堂さんをみかけたりすると
わたしはその存在に不信をおぼえた
彼女はここに本当に存在しているのだろうか
それからわたしは自分自身にも不信感をおぼえる
わたしは本当にここに存在しているのだろうか
わたしたちはみんなオバケなのかもしれない
窓からは風がどうっとふきこんできて
はっぱたちはざわざわとゆすれている













自由詩 オバケちゃんへ Copyright モリマサ公 2006-04-29 11:50:03
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