当たり前のこと
たもつ



先日、父方の伯母が亡くなった。
父は十人兄弟の六番目。
兄弟のなかで、この世を去ったのはこれで二人目になる。


雨が降っていた。
最初父は、「お前は来なくてもいい」、と言っていたが
電車で行くのは大変だから、
ということで通夜の会場まで僕が車で送ることになった。
数年前から父親は左手の自由がきかなくなり、
黒いネクタイも一人では結ぶことができなくなっていた。
僕が一度自分の首に緩めに結び、それを父の首にかけた。

「助かったよ、お母さんはネクタイの結び方、わからないんだ」

そういえば、退職して左手の自由がきかなくなってから、
父がネクタイをしているところを見たことがない。
若いころは、遊びに出かけるときでも、
スーツを着て、ネクタイをしていたものだ。
最近は外を出歩くこともあまりなく、
家で大好きな競馬の予想をしていることが多くなった。


会場につくと、父の兄弟たちは既に集まっていた。
三人の姉と四人の弟。
皆、遠くから集まった。
伯母、叔父たちがこうして全員集まったのは、
五年前、僕の兄の結婚式以来のこと。
父を一番可愛がっていた伯母が
しきりに父の左手のことを心配していた。
その伯母も、五年前のシャキシャキした姿は面影も無く、
腰も曲がり杖をつかなければ歩けないようになっていた。


十人兄弟だから、僕の従兄弟の数も半端ではない。
確か、三十人ほどいるはず。
けれども、来ていたのは亡くなった伯母の子どもを除けば、
僕ともう一人だけ。
もし自分達が死んだときは、
なるべく次の世代に負担をかけないようにしよう、と取り決めをしている。
父にそう聞いたことがある。


通夜が終わり、
身内だけで夕食をとっていたときの父の一言が忘れられない。

「姉さん、俺たちを産んでくれた母親の名前は何だったかなあ」

日々生きていく中で、記憶が欠落していったというような口調だった。


人は順番に死んでいく。ひどく当たり前のことだ。
そして、順番に忘れていく。
それもきっと当たり前のことなのだろう。
ここ、数日の間に二人の「長さん」が亡くなった
一人はいかりや長介さん。
そしてもう一人は
「太陽にほえろ」で「長さん」役を演じた下川辰平さん。
子どものころテレビにかじりつくように見ていた
「8時だよ!全員集合」と「太陽にほえろ」のスターが、
ほぼ時を同じくして、ほぼ同じ年齢で亡く亡くなった。
皆、順番に死んでいく。当たり前のように。
そして忘れていく。忘れられていく。


通夜から数日後、父から電話があった。

「黒いネクタイな、次に何かあったらすぐに結べるように、
 あのままの形でハンガーにかけてあるよ」

父の声は無邪気だった。


「今度はお父さんの番になるなよ」
という一言が頭をよぎったけれど、
口に出すことはできなかった。


(2004年4月1日の心太日記を一部改稿)


散文(批評随筆小説等) 当たり前のこと Copyright たもつ 2006-04-07 22:09:24
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