夢を語る行為
篠有里

夢から覚めた。
彼女が傍らで伸びをする。
彼女があくびをする。
彼女は悪い夢を見たという。
彼女は目覚めが悪いという。
でも夢は動作をする度にこぼれ落ち、
原形をとどめないあわい砂の城になる。
彼女は語り出す。
聞いているといないに関わらず。
もう1度布団の中に潜り込む。
残されたぬくもりの中で泳ぎ出す。
「私が夢の中で実家に帰って、そうしたら実家がないの」
肩口までぬるり深く潜る。
「実家に帰るのは怖いんだけど、実家がないと寂しいの」
「実家に行ったらそこには家が無くて、代わりにスーパーが建っているの」
そう言ってまた目を閉じる。
自分を抱え直す。
どうせこれからそんな事すべて忘れて、
いつものように得体の知れない重い気持ちと共に1日を過ごすのだから。
今こうやって、彼女が夢を語る。
「周りにあるはずの親戚の家も、親戚もみんないなくなってる」
動作と共に夢は失われるなら、彼女が夢を語る行為はまさに矛盾している。
「私は一生懸命家族を捜すんだけどどうしても見つからない」
そう、今はそれの何が恐ろしいのか、さっぱり理解できない。
聞いている方もそうだろう。
語る方もそうなのだから。
「何で実家が怖いかと言えばね」
自分を護るように丸くなる。
「実家に帰るとそこから出られなくなるようで怖いわけ」
「いったん帰ったら外に出してもらえない」
「一生あんな田舎で暮らしていかなくちゃならない」
「あそこではみんなが私を知っている」
「それは怖い」
「他にもね」
「妹のものがあるの」
「そこかしこに死んだ妹のものがあるの」
彼女は失ったものについて考えようとして結局止める。
「それを見るたび私はいつも怖い」
彼女は少し考え込む。
「お父さんやお母さんを捜すんだけどどうしても見つからなくて」
彼女は強調する。
「そこでは死んだ妹が生きていて、私は妹も探すの」
彼女は目を開いて何も見ない。
彼女の魂は日々の生活と、労働に疲れている。
彼女はどうしても布団から出たくない、特に今日は。
「名前を呼んで探し回るけど、家も家族も妹も見つからない」
彼女は記憶の反芻を深くする。
より昏い場所に移行するために、強く目を瞑る。
そうする事によって悪夢の根本に立ち返ろうとただ一度だけ試みる。
「でも私はもうあのことは思い出したくないのよ」
「あの場所も」
「何をしてもみんな私を知っている、狭い、狭い世界」
もう終わった事なのでどうでもいい、という事にしたい彼女がいる。
望まない記憶の反芻は、その中に余分な主観と後付けの理由が加味され、
真実は遠い川の向こう側に逃げ去っていく。
彼女は再度暖まった布団から腕を出す。
「夢の中だから妹も生きているし」
「やっぱり家が無くなると私でもこうやって探すし」
「私みたいに独りで暮らしていると実家がないって怖いものよきっと」
「普段は無くてもいいって思うし、帰りたくないけど、やっぱり実家なのね」
そうやって夢を現実に持ち込んで自分に分かりやすいように解釈を施す。
受け取りづらい荷物に紐をかける。
「単にくだらない夢なのよ、もういいんだけどね」
「でも何か気分が悪いじゃない?」
取るに足らなくなった夢は既知の現実に修正されて、
一日を始める準備ができる。
彼女はもうその夢の意味を追い求めない。
彼女がまた軽く伸びをする。
そう言えば彼女は悪い夢を見たそうだ。
「ああ、今日はこれから早番なのよ」
彼女は時間が来たからどうしても布団から出なくちゃいけなくて、出た。


自由詩 夢を語る行為 Copyright 篠有里 2006-03-28 08:50:12
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