ポエム岬
モリマサ公

ポエム岬

千葉県房総半島は長い
犬吠埼から九十九里の有料道路を使って南下すること一時間
そこに小さな岬がある
ポエム岬
誰がはじめたかしらないが
そこはいつからかそう呼ばれるようになった

ポエムがなければあのとき
という人々の聖地でもある

ポエムがなければあのとき

私もその中の一人である

誤解しないで素直なきもちできいてほしい

中学高校と不登校もしたし自殺願望もあったわたしが
情が深く思い込みの激しいこのわたしがあろうことかふられて
もう死んでやるみたいな気分になっているとき
お酒を飲むことに熱中する以外に四六時中没頭したのがこのポエムだったのである

あのとき
私はポエム岬の先っちょから海の向こうの世界をおもい
空とうみの境目にめをこらして
なぜここにいるのかとか
そうしてここはどこなのかとかおもっている瞬間や
その瞬間に世界はこんなふうにみえていたということや
ここから色あせていくおもいをいかにリアルに切り取るか
そういうことに集中することによって
自分をなんとかコントロールできるようになった
これがわたしとポエムとの出会いだ

それからのわたしは毎日ポエム岬の先っちょの崖っぷちにたち
その落差などに自身のピントをあわせポエムをつくり
その時間をさらに客観視できるようになるため詩の朗読なるものをはじめ
こうして今ここにいる

ポエムがなければあのときわたしは
あの崖っぷちから完全に飛んでいたとおもう

いかにして世界をきらいになってみきりをつけてやるか
わたしは荒々しくファックとかシットとかいうことばをつらね
その過程のなかで世界の美しさをなぜかとてもリアルにかんじ
そのリアルを表現できそうになるとやけに興奮して
わたしはいつしか「リアルに飛ぶこと」よりも「飛ぶということについて考える」
ということのほうがたのしくなっていた
ただでさえそこに近づいているのだからあとは放っておけば良いのかも
そんなふうに考えるようになり
そうしてどちらかといえば死にそうとおもいながら生きる
ということに喜びをおぼえるようになった
ドエム
便利なことばができたものだ
ドエムなのかもしれない

最近は詩はこうこうこうでここがこうじゃなきゃだめ
「これを詩とはみとめれない」みたいなひとへは
ある一定の尊敬をもって接したいとおもっているこのきもちも

ドエムのなせるわざなのかもしれない

ちなみにポエム岬とはお気づきのように
選ばれた者にだけ姿を見せるとっても不思議な場所のことで
みんなのこころの中にあるといっても過言ではないだろうとおもう

じつはあの場所でみかけたようなひとのポエムをみるとき
わたしはこれらのことをおもいだす

ポエム岬からみえた
空とうみの境目のようなものを






以上〜











散文(批評随筆小説等) ポエム岬 Copyright モリマサ公 2006-02-21 02:22:40
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