自分の適性。
ナイチンゲール

人に自分の考えを打ち明けるとよく「そんなの君の思い込みだよ」と言われる。
しかし、どう考えても僕の考えでなければ説明できない出来事が頻繁に周りでは起こる。

そんな体験を何度も繰り返して気が付いたことは、
大概の周りの人達は普段、他人の行動に動機なんて求めて生きてはいないこと。
相手がどうしてそんな行動をとったのか論理的に説明しようとはしていない。

僕は人とコミュニケーションをとるとき、
そのちょっとした仕草にも目を配り、そこに意味を見出そうとする。
心理学にも深い関心をしめし、それなりに関連する本を読んだことがある。
これはきっと僕がいた環境に由来する習性だろう。

けれども大概の人達は、何となくそうしたんじゃない?
そうしたかったからしたんじゃないかな?
それで自分自身すっかり納得して人とコミュニケーションをとっているようだ。
それによって僕よりもずっと円滑に相手と親密になっていく。

その理由の全部を挙げるのは難しいが、今手元にあるのは二つの答え。

一つ目は、行動の動機付けは誤解が生じやすいと言う事だ。
その行動から本人が意図するものとは別の解釈をしてしまい、
相手に全く見当はずれな動機付けをしてしまう。
これによってすれ違いが生じて関係が気まずくなる。
これは頻繁に体験するのだが、僕は解答用紙の空欄に何も書かずに提出するよりは、
自分が思う答えを書き込んで提出した方がいいと思うタチの人間だ。
それにこういう習性が身についてしまった以上、今更どうしようもないと諦めている。

二つ目は、人は他人から心を読まれるのを嫌がる時があると言う事だ。
自分の行動動機のすべてを相手にぴったりと言い当てられると、
猛烈に腹が立つことがある。アイデンティティーを傷つけられるからだろうか?
君はこれこれこういう風に考えてこんな事したんでしょう?
そう面と向かって言って、その通りだと嬉しそうに頷いてくれた人はいない。
ネットの世界で人生相談所を開いていた時代がある。
その時は、気持ちを理解してくれてありがとうとたくさんの人にお礼を言われたものだ。
心を覗くなと怒られたり、気持ちを理解してくれてありがとうと感謝されたり、
本当に人の心は複雑と言うか、いい加減と言うか。

人間の心を読む力。
これはそう特別な力ではないはずだ。
誰もがコミュニケーションをとるためにそれなりに持っている力だ。

けれども自分はその力の度が過ぎている気がする。
この人はこうだと思い込んだら、その考えを肯定する論理がブワァーと頭に展開されて、
違うと何度も否定されても聞こえない。俗に言う妄想エンジンと言う奴だ。

このポンコツエンジンのせいでかなり苦労の多い人生を送ってきた。
実際こいつのせいで一度病気になって今もまだ悩まされている。
けれど最近になって気が付いた。
この妄想エンジンに物語を作らせたら天下一品だという事に。
妄想エンジンに火が付けば、もうノンストップ。
妄想が妄想を呼び、誰も聞いたことのないような物語が次々と生まれてくる。

この世界には数え切れないほどの職業があり、
人はそのうちの最低どれか一つ、必ず適しているものがあると言う。
もしそれが本当なら、自分はやっぱり物を創造する職業に向いているのだろうな。
逆に言えば、僕という人間はそれ以外の仕事には一切向いていないのだろうな。
そう思って、今日も将来のために着々と鍛錬を続けてみた。





未詩・独白 自分の適性。 Copyright ナイチンゲール 2006-02-12 20:18:50
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