野良犬から見た世界
ベンジャミン

家の近くで見たのは野良犬の親子

道路をわたるときは子犬のほうが先で
親犬はあとからついてゆく
一見普通の光景だけど

親犬は眼が見えない

だから子犬が前を歩き
親犬はその匂いを頼りについてゆく
容赦ないスピードで通り過ぎてゆく車の隙間を
小学生より正確に左右を確認して子犬は歩く


ある朝
子犬が車にひかれていた

そいつをひいた車は眼が見えなかったのだろうか
それはもう子犬ではなくて
親犬もまた
もう親犬ではなくなってしまった

雨が降っていた

車は鉄のかたまりで意思を持たない
意思を持たない車が人間を運んでいる
鈍い衝撃がハンドルから伝わったとき
子犬は痛みを感じただろうか

雨が降っていた

親犬は道路をわたれずに眺めている
眺めているが見えてはいない
車が容赦ないスピードで通り過ぎて
あらゆる隙間を埋めてゆく

雨が止んだ頃

親犬の姿はもうなかった
子犬の匂いは排気ガスにかきけされて
子犬の体はいつの間にか片づけられて
そうやって忘れられてゆく



健忘症の検査をやった

適当に画用紙に線をひいて
別の画用紙に同じように線を書くやつだ

大丈夫だと言われた

いったい何が大丈夫なのだろうか
僕はいつも
何か大切なものを忘れているような気がする



親犬は子犬の匂いを忘れるだろうか

見えることのない世界の
わずかな隙間にさしこんだ光を失って
容赦ないスピードで
通り過ぎてゆく車が走る道路に

生きる道は残されているだろうか

親犬は見えない瞳の中に
いったいどんな
自分の子の姿を映していたのだろう



雨が降っていた


あの日と同じ雨の匂いだった


大丈夫だと言われた


大丈夫なのかもしれないと思えた


雨の匂いに子犬の匂いを重ねて
親犬は何処かでうずくまっている


雨が降っていた


なんとなく
涙の匂いに似ていた






自由詩 野良犬から見た世界 Copyright ベンジャミン 2006-02-01 06:22:55
notebook Home 戻る