妻の背中
服部 剛

玄関のドアを開くと
右手の壁に一枚の絵がかっていた

六十年前
I さんが新婚の頃に過ごした
緑の山に囲まれた海辺の村

二十年前
定年まであと一年を残して
急病で世を去った夫は
生前 日曜日になるとスケッチブックをかか
ふらりと海へ出かけたという

不器用に曲がった線でかれた
額縁がくぶちの中に傾いた海辺の村

海の青 山の緑 家々の屋根の茶色

今は亡き I さんの夫の素朴ににじむ色合いは
寒い冬の朝にこわばった僕の胸の内をほぐした 

老人ホームに着くと I さんはお茶を飲んでいた

旦那だんな様の絵、いいですね 」

「 あら、そんなのあったかしら? 」

丸くなった瞳の下にほほをほころばせた 

週に一度
老人ホームの車が迎えに来る朝
I さんは仏壇に手を合わせてから家を出る

人知れずかすかに目尻を下げる
夫の遺影のまなざし
仏壇の中から
ドアを開けて部屋を出て行く
老いた妻の背中を見送る 





自由詩 妻の背中 Copyright 服部 剛 2006-01-20 21:45:17
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