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始まりはなかったわけだが、終わりもなかった。終わりこそないの
ではないか。「沈黙」は文章の形式でほとんどを見せてもらってい
ることになる。最初は三行、次四行、最後が五行。増えていって分
割されていく。これが枝のようなものとイメージがマッチしていく
のであり、そうしたらどこまでも分割していくのではなかったか。
文字単位にマックス分けると十八行になるのだが、音声分割もして
もっともっと行って、音声の素因子?って勝手に言葉を作るが物理
学でいえば個体から分子へ、分子から原子へみたいな行く末を感じ
るのだった。原子まで行けば物理学では一応おしまいであるが、も
ともとこの精神の枝のようなものが物理世界のルールに則るとも思
えないので分ければどこまでも分かれていくのだ。物理というより
数学的だ。
終わりについて言及しないのは終わりを示唆しているともとれる。
彼の精神の枝のようなものは五分割まで到達した時点であとは停滞
しているのか所在不明となった。遺書のようにも思える。この場合
の死というのは分割の限界であるが、数学的な分割限界ではなく精
神の枝のようなものの上に「立っている」限界だ。精神の枝のよう
なものは分割されれば徐々に強度が弱くなっていき、立てる場所と
しても徐々に不安定になってゆく。そしてここから先は二つのケー
スがある。一つは立っている本人は分割されず、彼の持つ(精神的)
重力を枝が支えられなくなる、そして落下。さようなら。もう一つ
は立っている本人自体も等比分割されてゆくが「本人」という個を
保てなくなるほどの分割限界があるということ。ハンバーグという
個体も切って切って切りまくるとただの肉片でしかなく、肉片&エ
ビフライなどというメニューはファミレスにはない。我々はただの
肉片をハンバーグディナーとは見なせないのだ。よって立っている
本人という個が崩壊し、存在するが存在しない、さようならの状態
となる。
どちらにせよ彼の行く末はない。このまま先に進んでいたとしたら
すでに消えてしまっているだろうし、停滞しているのであれば彼は
ここから先にも後にも動けない。後にも動けないだろう。精神の枝
のようなものは後戻りを許しそうにない。
文章の形式でこれを表しているのであってなかなか良作だと思うが、
そもそもこの作品は形式と心中するしかない作品であり、いまいち
ピンとこない人にとっては「なんとなくたどたどしい感じ?」くら
いの精神の枝のご様子が伺えるのみであって、あまりおもしろい作
品でもないだろう。この作中では精神の枝と言っているが、これは
八王子の隅っこでも良くて、単にスタート地点が精神か八王子かの
違いしかない。
八王子の
隅っこのような
ところに
立っている
だとしても形式としての整合性は取れており、このずっとさきに分
割したさきに精神の枝のようなものが登場してくることになるの
だった。でもそんな手前から書かなくてもまったく問題ない。