私にとって、詩を書くということとは
たりぽん(大理 奔)

中学や高校時代に書き散らかした。へたくそなのに自分で「詩」と呼んで
書き散らかしていました。それは主に大学ノートに、結構きれいに書かれ
ていて、いまのメモ書きに比べると「ほほぉ」と思えるほど詩集風に書か
れています。

 それを整理しながら、ここ一年現代詩フォーラムに詩を書いてきたこと
は自分にとってなんだったのかと思ったりしました。ので、ちょっと書い
てみようと思います。

 発表するとか投稿する、という気持ちが最初のころはあったと思うので
すね。それがピッと切れてしまい、しばらく書き込めずにいた。なんでだ
ろうかと。

なんでだろうという思いがなんだったのかも今はわかりませんが、とにか
く詩は私にとって発表するようなものではなかったということに気がつい
て気が楽になりました。誰かに思いを伝えようとか、文章のテクニックを
駆使してみようとか、誰も思いつかない表現を考えてみようとか(そうい
う気持ちがないわけではありませんが)ということ以上の目的。

 私にとって詩を書くということは、自分の五感を高揚させたり、発散し
ていきそうな愛情をつなぎとめたり・・・つまり、自分の感情を「体感覚」
として記憶するための作業だったのだなぁと。そう思いました。気がつき
ました。

 文「芸」であればやはり芸事なのだろうけども、たとえば恋人にしか受
けない芸を磨く人であっても、私はかまわない。愛しいことをただ愛しい
と書くのではなく、どんな愛しいだったのかを、心臓のドキドキとともに
思い出せるような体感覚としての心の記録を自分自身のためにこれからも
書いていこうと思うのです。

そのために書かれた文章が詩と呼べるのであれば、それはそれで嬉しかっ
たりはします。でもそれだけのことなんだろうな。

もし、私の投稿したものを読んで、同じようにドキドキしたり、いらだっ
たり、怒ったりしてくれる人がいれば嬉しい。だから、私はここに投稿を
続けようと思っています。




散文(批評随筆小説等) 私にとって、詩を書くということとは Copyright たりぽん(大理 奔) 2005-11-11 21:28:21
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