ユダの闇
The Boys On The Rock

あの日は
いつもと同じ穏やかな日差し
ほこり風も吹かず
糸杉の葉摺れの音も心地よく
乾いた空気は風となって額を吹きすぎる
貴重で平和なひととき
ただ それは
カナンの地ではありふれた初夏の一日でもある
しゃれこうべの山から
半ば夢見勝ちに歩いてきたせいか
すれ違う道行く人々の目はどこか訝しげだ
たぶん いまの俺は
まっとうなユダヤ人には見えぬのだろう
ただ 確実なことは
懐の中の銀四十枚の感触
この忌まわしいローマ人のこの貨幣だけは
打ち消しようもない事実だ
・・・あの方の唇の感触が
俺から現実感を奪ったのは ほんの一瞬のことだったが
すでに あの方はこときれ
深い穴ぐらで眠っているはずだ
あの方の逝かれた日は
神殿の幕が破れたり
日蝕が起こったわけでもなかった
現に
あの方の処刑を
物見遊山で見物していた神殿商人たちも
元気に商いに励んでいる
どうせなら
ジェリコのラッパを吹き鳴らす天使の軍団が
あの方を迎えに来てくれれば
よほど すっきりと真実がわかったものを
なぜ
人の子が嬲り殺されたその日も
その翌日も
普段と変わらぬ日々なのだろう
喧騒たる市場
たむろし説教をするパリサイびと
いかめしいローマ兵
身をかがめて歩く徴税人
神殿と至聖所
焼かれる生贄の香ばしい香り
なんとも
あの日以前と同じ光景が
眼前にあるだけだ
(不吉な事象のひとつでも起これば良いのに)
「よう ひさしぶりだな」
市場で昔のゼロータイの知り合いに声をかけられた
「なんだ 妙にふさぎこんでいるじゃないか?」
この田舎者はあの方の死を知らぬ様子
やつは俺の肩に手をかけたが
すっと 手を引っ込めた
「なんだ・・・それにしても 暗いな
 まえにナザレの男についていくと言ったときは
 妙に晴れがましかったのに」
そうだ
暗いのは生まれつきだと思っていた
俺、暗いかな?
「いや 気のせいだ 気にしないでくれ」と言い
怪訝そうな表情を浮かべたまま男は市場に消えた
この気の重さの原因は
わかりすぎるほどわかっていたが・・・
普段と変わらぬ日々
明るい日差し
気持ちの良い大気と快適な温度
日常というにわか作りの天国のなかで
俺の懐には夢と些少な欲望をかなえる金もある
それなのに
あの方の死も知らぬゼロータイの男にも
気づかれるほどのものだったのか・・・
それは 俺の中にあるのだ
まぶしい視界に見入る暗鬱な視線
あの日から あの方の逝かれた瞬間から
常に感じているこの闇
まるで 太陽に疎まれ
俺のまわりにだけぽっかりと影が差しているようだ
嗚呼!と叫んで道に蹲ると
罵声とともに
棕櫚の葉を摘んだ車を引くうさぎ馬が傍らを通り過ぎた
額に砂をつけたまま 顔を上げると
いつもと変わらない 喧騒たるエルサレム
乳と蜜の流れる赤土の地
だが やはりそうなのだ・・・
この地上の楽園で
俺は一人暗闇の中を歩いている と
気がついた瞬間だった

*ゼロータイ:熱心党、ゼロテ党ともいう。ユダヤ人過激派で、
ローマからの独立を叫ぶ政治結社であり、かつてユダは、同じ
く十二使徒「熱心党のシモン」とともにゼロータイに属していた。


自由詩 ユダの闇 Copyright The Boys On The Rock 2005-11-06 13:00:51
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