順性
第二次テーブルマナー

コーヒー片手に考えてみたの。。。じょーしき、これは一体どういう俗物なのかを。
辞書(Longman)を引くと「常識=Norm(規範/倫理)」とある。よくわからないわねえ。
 「常識なんてぶち毀せ」、グリーンベレーがそう歌っていたッけ。じょーしきに捕われ続けていた彼等の悲痛の叫びというところかしら(ボーカルのNorman Blyanはちなみに薬で頓死と言うお決まりのパターン)。「抵抗しない事は罪だ」そうある女性ピッチャーが言っていたけれども罪から魂すら震撼させる言葉が産れる、素晴らしい事だと私は思うけど。
 なんでこんな事を考えていたのかと言うと、「常識に捕われるな、自分らしく生きろ」という文句が巷に溢れていると言う事。そして、その言葉自体が既に常識に捕われて例外ではないから。「表現は駄目でなければ駄目だ」ある人の言葉だけど、ここに流れる狂気じみた反抗をあなたは感じているのかしら?この午前四時の鬱々とした夜の壁に。
 人はすべて例外だもの。そういう極論から考察すれば、「駄目じゃない人などこの世にいない」と言う結論が(パラドキシカルに)得られる事になるのね。そしてじょーしきはすべての例外に規範を押し付ける存在である以上、痛みを伴うの。痛みを知って成長しない人間なんていない、そうは言うけどその痛みに慣れて目の前の水に達した人の、しかしなんと多い事か。そういうオートマティックな事物には私はなりたくない。なりたくなかばい。
 その都度の痛みにしおりを挟みたいの。慣れる事が強さだと私は言いたくない。いいたくなかばい。永劫のパトスという紅蓮の中で、私は抵抗していたい。総ての観念的Normを常に破壊していたい。それが私の最後の言葉。ねえ、おまえさん??

P.S.グリーンベレーの「こぼれ話」(原題、「the top secret」)は最高です!!

順性_生物学的用語。あるストレスに耐えて、そこから発生する慣れにより、目的に到達する性質を得る過程、あるいは性質。


散文(批評随筆小説等) 順性 Copyright 第二次テーブルマナー 2005-10-30 04:39:14
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