take it easy!
黒田康之

家に帰ろうとすると思った
遠くで僕が降りたのよりも
もっともっとあとの電車が
レールを軋ませて走ってゆこうとする
街灯がひとつ明滅していて
長い桜並木の
もうすでに長く葉桜のままの道を僕は歩く
雨と苔で黒ずんだブロック塀が続いて
舗装しなおしたばかりのアスファルトがきらきらと光っている

するとどこからか
Take it easy. Take it easy Take it easy.
とコオロギの鳴く声がする
Take it easy. Take it easy Take it easy.
と鳴く声は姿を見せず僕の後を追ってくる

でも
残念ながら今日の僕は悲しくない
すらりと背の高い
笑顔のかわいいあの子と
羊肉とパスタとフルーツをいっぱい食べて
ずっとずっと話をして
ワインもたくさん飲んだのだから

だから少しも悲しくなんかない
でも、こんな僕に向かって
今日に限って草むらの君は
Take it easy. Take it easy
と鳴く
今日という一日の香りにはたっぷりと愛があって
満ち足りて幸せなのに
草むらの君は
Take it easy. Take it easy
と僕に話しかける

僕は平気だよ
何があっても今日の僕は
平気だよ

でも
コオロギは
Take it easy. Take it easy
Take it easy. Take it easy
Take it easy. Take it easy
と僕の足音に合わせて鳴き続ける

僕が足を速めても
彼は僕のために歌う
Take it easy. Take it easy
Take it easy. Take it easy
Take it easy. Take it easy

冷たい闇がガラスみたいにどこまでも澄んでいる
幸福なのは
この夜だけのひそやかな秘密のように
どこまでも澄んでいる

僕は家へと続く階段を昇る
もうこの先はどこへも行きはしないのだと
きしきしと階段を踏みしめてゆく
明日を向かえる
そのための足音を忍ばせて
Take it easy. Take it easy
Take it easy. Take it easy

オヤスミ
今日
オヤスミ
オヤスミ



自由詩 take it easy! Copyright 黒田康之 2005-10-16 22:15:59
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