地形図に隠された地図
殿岡秀秋


切られた地形図を渡された。その地図を貼りあわせて目的の場所行くようにといわれた。それは計算によって探すしかないと、地図を渡してくれた人がいう。ぼくは計算しながらあることに気がついた。この地図には隠されたもう一枚の地図があるのではないかと。

地図は5枚に切りわけられている。5つを接着すれば一枚の完全な地形図になると予想した。ところが5枚をあわせると25分の24にしかならない。これはどうしたことだろうか。

ぼくは半日、つなぎあわせた地図を眺めていた。そして5分の1の地図に少しずつ空白があることに気づいた。空白の部分を足すと、ちょうど25分の1の大きさくらいだ。その25分の1に隠された地図の場所があるのではないか。

貼りあわせた地図の繋ぎ目にゼリーのような塊ができている。そこへ行くと。ゼリーの固まりの中は柱があってしっかりした建造物になっている。

それは地下鉄の入口のようなところだった。ぼくの身長はいつのまにか、そのゼリーの高さにまで縮んでいた。入口から長いエスカレーターが動いている。ぼくはそれに乗る。これは地図の空白から別の地図の空白にわたっていくものだとぼくは感じた。下るというよりも地図の下を平らに移動していく感じだ。

エスカレーターが止まる。下りると乗り換え地点らしく、別のエスカレーターが日を受けて照り返す小川のように遠くまで輝いて流れている。それに乗ると地図は風景のように後ろに遠ざかっていく。人々の匂いはないが、人の影の気配はある。終点にきて少し上りなり、地図の上に出る。

そこは入ったときの地形図とは違う。広い白地図の街だ。ここがおそらく隠されていた地図の場所だ。それはかつてぼくが見慣れた商店や家々が記されている。ぼくが幼い日にすごした記憶の中の街だ。その街は時とともに成長し、今ではすっかり容貌が変わってしまっている。しかし、この地図では昔のままに残されている。ぼくが怪我をした銭湯があり、そのときに治療した医院があり、ぼくにパンをくれたおばあさんが店番をするパン屋があって細い路地に入る。それをすすむと曇りガラスのような壁に突き当たる。これは見たことがない。そこが地図の切れ目なのだと推察がついた。地図の中をさまよっているのだ。元来た道を引きかえすことにした。ぼくは再び地図の外に出られるか心配になってきた。子どものころに鬼ごっこして隠れていたら、いつまでも見つけてくれなくて、暗くなって、みんな家に帰ってしまったときの恐怖がよみがえる。ぼくをひとりにしないで。しかし、地図の中に入ったのは元々ひとりだ。ぼくは明るいエスカレーターにのり、乗りかえて、無事にゼリーの中の柱から抜け出た。そして、地図の外に出て元のように大きくなった。

とても長い時間を地図の中ですごして疲れていた。隠された地図の中にぼくが探さなければならない場所があるような気がしていた。地図の切れ目をつなぎ合わせて、再びこの地形図の中に入る日がくるだろう。


自由詩 地形図に隠された地図 Copyright 殿岡秀秋 2005-10-12 06:00:12
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