アキアカネ
落合朱美
ねぇ見て 不思議よね
こんなにちっちゃいのに
ちゃんと爪もあるのよ と
満ち足りた母親の顔で彼女は
小さなこぶしをを開いて見せる
アキアカネが飛び交う夕暮れに
生まれたから 茜
はい、と手渡されて
新しい命の重みをたしかめる
まだ目も開いていないのに表情は
心なしかあの人にもう似ている
とつぶやくと
あたりまえよ父娘なんだもの と
屈託のない笑顔が返ってくる
彼女はなにも気付いていない
そうね、茜
産まれたばかりなのにもう貴女は
目も鼻も口も手足もちゃんとして
人の形を完成している
そして貴女もやっぱり女
貴女の中には子宮もちゃんと
いつか命を継ぐために用意されている
もしも運命が少しだけ横を向いてくれたなら
私の中で育ったかもしれない命
でもそれは貴女ではなかったかもしれない
もしかしたら生まれてこなかったかもしれない貴女
けれど今は間違いなく彼女が貴女を抱いている
それが現実
幸せな棲家からの帰り道
歩道橋の真ん中で突然歩けなくなる
満たされたことのない子宮が
継ぐことのできなかったあの人の命を
思い出しては疼いている
空っぽの子宮が
彼女と茜の姿を思い出して蠢いている
なにかとてつもない感情が
嘔吐するみたいにこみあげて
うずくまる私は
倒れることも再び歩き出すことも
できないまま
夕暮れの空にアキアカネが舞っている