綿球ふたつ
佐々宝砂

状況はあまりに切実で
せっぱ詰まっていて

監督は時計を持って外で時間を計っている
ぐずぐずしていると怒られる
怒られるだけならいいけど殴られる
殴られるだけならまだましで
もしかしたら逆さ吊りで水をかけられる

だから綿球ふたつを突っ込んだ
まだどんなものも入ったことのない場所へ
ただ厄介なばかりの血が流れ出す場所へ
思い切って突っ込んだ
大急ぎで

便所を出て監督に一礼して
現場に戻って糸を繰る


母に教わった「おうま」は駄目だった
襦袢と腰巻をだいなしにしたし
何よりみっともないことになった
考えてみれば当たり前だ
二枚の和紙を重ねただけの「おうま」は
生糸女工の役には立たない

綿球を使うやり方は
先輩女工に聞いた
このほうがいい
「おうま」よりいい
ひどい違和感を感じはするけれど
だからといってどうということもなく
数時間便所に行かずに済むのだから


日勤が終わって夕飯を食べて
わずか許された入浴時間

それでも湯船に入るのは遠慮して
湯をあびると
半分朱に染まった綿球が流れてきた
自分のかと驚いて確かめたが
そうではなく

アレ恥ずかしいと
先輩女工が顔を赤らめるので

排水口の蓋を開けて綿球を流して
気にしないでねと目くばせして
脱衣所へ

新しい綿球ふたつを詰めこんで
大急ぎで身支度する
夜勤の時間が迫っている



「ルクセンブルクの薔薇」名義で発表。


自由詩 綿球ふたつ Copyright 佐々宝砂 2003-12-29 03:11:02
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労働歌(ルクセンブルクの薔薇詩編)