深海魚
芳賀梨花子
その美意識の中では美しいとされているのか
目のない魚たちは見たことのない光など求めない
もしかしたら、その静寂は、ほんのひとかけらで
そのかけらさえ理解できない未来は過去になっていく
このまま、いっそ深みにはまったまま
そんな風に漠然と
漠然と時などは過ぎて行き
あなたが、あの日、わたしに言ったように
時間と等分のしあわせを追いかけるなんて
疲れるだけなのだと
それなのに、わたしは毎日生きている
お魚屋さんの角を曲がって
その裏の細い路地、ちょっと奥まったところで
わたしは生きている
権兵衛踏切を渡って、高見順が住んでいた塀を右に曲がって
坂を上る、神社を通り抜けて、通り抜けるだけでは、失敬なので
いつもダウンジャケットのポケットに入れてある五円玉を
そして、拍手をぽんと打って、ガラガラして
真冬なら、いつも氷が張っている
鉢にたまった天水を確認する
今日も、また、そこにあるのだ、と
わたしもここにいるのだ、と、これもまた漠然と
だけど感謝することも忘れずに歩き出す
そういえば、光は届かないけれど
決して凍らない水が、そこにはあるのだな
とか思ったりもして、墓地を抜けて、円覚寺の境内を歩く
何も悟れずにいる自分、いや、多分
悟りたいなんて思っちゃいないのだ
あの目のない魚たちは、どうなのだろうか、と
少し考えてみたりもする
図鑑の中でしか見たことがないのに、と
苦笑いしたり、しながら
時には浄智寺まで
浄智寺の空気は、なぜか透明に感じて、いつも
日差しがわたしの体内へ入り込んでくるような気がする
わたしは、あの魚たちが知らない感覚のなかで生きているんだ
お天気がすごく良ければ、そのまま源氏山に登り
晒された樹木の生命線が
道すがら踏み荒らされているのを見ると
まるで、わたしの血管のようにかんじて
踏みつけられるたびに悲鳴を上げてしまう
でも、それでも、歩き続けていると
開かれた視界から、運が良ければ三浦半島の
そのまた向こうの房総半島がかさなりあって
雲は、ありきたりに行く当てもなく
きっと、流れる水も
ほとけさまの近くに住んで
ほとけさまを敬わないから
でもなく、普通に、少しだけ不幸で
でも、本当は知っている
自分は、そんなに不幸じゃないってこと
そんな、ずるくて、でも、よわっちい自分は
どこにももどれないってことも