やきそばパンはいかにしてなくなり、夏はどのように始まったか
Monk
「ここから飛び降りるって言ったらどうする?」
「やれやれ。気まぐれなお姫さまだ」
「なによ、その棒読みのセリフは」
「感情がこもっていないんだよ」
「あのねー」
屋上、ほどよい風とやきそばパン
「他人の話をちゃんと聴く、ということができないわけ?」
「そんなこともないよ」
「そんなことあると思うけど」
「慣れてないんだよ」
「他人の話をちゃんと聴くことに?」
「いんや、チサがオレに」
「あのねー」
僕は彼女の名前を知っている
彼女は僕の名前を知っている
「やきそばパン、眺めてて楽しい?」
「んー、眺めててもなくならないところが」
「ふーん」
ぴゅー、と急に突風
「きゃっ」
「あ、シャーペンがころがってゆく」
「パンツ見たでしょ?」
「見てないよ」
「見なさいよ」
「なんだよそれ、それよかシャーペン」
「それよかって」
はためく学校の旗とスカート
「わたし、けっこうカワイイと思うんだけど」
「けっこうカワイイと思う」
「自分で言うのもなんだけどね」
「自分で言うのもなんだよな」
「ねー」
「なに」
「性欲旺盛な高校生らしくないよ、キミ」
「おまえ、たまにヘンだぞ」
「そうかも、でもキミよりマシでしょ」
「どうだか」
「ねー」
「なに」
「『キミ』って呼ばれるのひそかに好きでしょ?」
「よくわからないな」
「なによ、その急に低い声は」
「ハードボイルド」
「ふーん」
「オレ、けっこうハードボイルドだと思うんだけど」
「そうでもないよ」
「そうかな」
「どっちかというと、」
「こっちに来なよ」
時間が風力で動いていた
ときに勢いよく、ときにゆったりと
チサの腰にすっぽりと腕をまわしスカートに顔をうずめた
耳元でバタバタと音がする
いろいろなものが風力で動いているんだなと思った
「どうよ?」
「『どうよ?』って、」
「この格好」
「そんなこと言われても」
「いいにおいがする」
「バーカ、バーカ、バーカ」
「バカですから」
「ねー」
「なに」
何も変わらないでいられる限界の線はどこだ
「ここから飛び降りるって言ったらどうする?」
「・・・と彼女はどこか遠くを見つめながら言った」
「で?」
「ぼくは『大丈夫、すべてうまくいくさ』と言って彼女の左手にキスをした」
「却ー下」
「なんだと」
「おもしろみに欠ける」
「おもしろみが求められていたとは!」
「はい、別の答えをさがして」
やきそばパンは食べなければなくならない
わかるのはその程度のことだけ
わからないことはたくさんある
誰かが教えてくれないだろうか
ああそれはね、と数学の証明問題を説明するように
「・・・ちょっとイタいよ」
「しかたないよ」
「しかたないのか」
「対価と代償というやつだ」
「いつものことながら、」
「ん?」
「わかりづらい言い方、好きだよね」
「そうかな」
「そうよ、解説して」
コホン
「ここから飛び降りたいのか?」
「どうでしょ?」
「無理だよ」
「なんで?」
「オレがこうやってギュッとつかまえているから」
「代償って?」
「スカートに顔をうずめられる痛み」
「ふーん」
「いいにおいがする」
「キミの性欲ってどこかあさっての方向に向かってると思う」
「テレない、テレない」
「テレてないわよ」
「顔が赤い」
「そのかっこじゃスカートの生地しか見えないでしょ」
「見なくたってわかる」
「へー、すごい」
「そのうちチサのことは何でもわかるようになる」
「何でも?」
「何でも」
「がんばってね」
「そうなったら大変だろうな」
「なにがよ」
「『いろいろとさ』」
「はいはい、ハードボイルドくん」
何を言ったりしたりすれば彼女が喜ぶのかよくわからない
やきそばパンは食べなければなくならない
午後の授業が始まる
「さて行こうか」
「いらないんだったらちょうだい」
チサがやきそばパンをひったくってパクッとかじった
「あ」
「うん、おいしい」
「あ」
「食べられるときに食べておかないとこういうことになるのよ」
さっさと歩いていくチサ
ぴゅー、とまた風が吹いたけど
スカートの端はしっかりと手で押さえられていた
くやしいんだかうれしいんだか
なんだこりゃ
ゴチャゴチャだ、もう
そんなふうにして夏は始まった