カルパチアからエマオまで
がらんどう


婦人たちが墓を見ると、墓石が墓穴の脇に転がしてあった。彼女たちが更に進み、深く掘られた墓穴の中に足を踏み入れると、冷たく湿る土の上に彼女たちが予想していたものはなかった。つまり、彼女たちはそこにイエスの死体がないことを見た(いや、死体はなかったのだから、「見なかった」と言うべきだろうか)。そのとき、彼女たちの前に黒スーツにサングラスの二人組が現れて、このことは誰にも話すなと告げたのだが、それはまた別の話。彼女らは墓から戻ると使徒たちにその一部始終を伝えた。だが、このときはまだ使徒たちは戯言として婦人たちの言うことを信じなかった。その中にただ一人嗤わぬ男がいた。ペトロであった。その夜、密かに家を抜け出したペトロは墓のもとへと走り、松明を片手に暗い穴の底へと降り立った。しかし、そこにあったのはイエスの死体を覆っていた亜麻布だけであった。ペドロはその場にへたり込み、思わず胸の前で十字を切りながら呟いた。「ジーザス・・・」。

一方そのころ、二人の男がエルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かっていた。一人はクレオパという名前であったと記載されているが、もう一人の方は現在精神病院に入院中のため特に名を秘してレンフィールド(仮名)ということにする。彼らがこの出来事について論じ合いながら歩いていると、黒い服を纏った長身の男が近づいてきて一緒に歩き始めた。その男が「今していたのはなんの話ですか」と訊ねると、二人は暗い顔をして立ち止まった。クレオパは答えて言った。「エルサレムに滞在しながら、この話をご存じないとは。その名を出すのも恐ろしいナザレのイエスのことですよ。三日前、祭司長たちが苦労して十字架に掛けたというのに・・・。今朝、仲間の婦人たちが彼の墓が空っぽであるのを見つけたのですよ。奴は死に際に必ず甦ると予言していましたし、悪いことが起こらなければいいのですが・・・」。

目指す村へ辿り着いた一行は共に宿へ入り、一緒に食事の席に着いた。「予言を信じることができないのは、物分かりが悪いからだ」、席に着くやいなや黒服の男はそのように語りはじめた。二人が顔を見合わせていると、「まだ分からないのか」と言って男は、いきなりメイド服を着た給仕の女をむんずと掴み片手で抱き寄せるとその頸に白く鋭い牙を突き立てた。しばらく女の頸から血を啜っていた男は、胸ポケットからチーフを取り出して丁寧に口を拭うと、「さて」と言うや、女の身体を引き裂きその肉を賛美の祈りを唱えた後に二人へと手渡した。すると、二人の目は開かれ、その男がクリストファー・リーそっくりであると分かった(つまり、これがどのような物語であるのかが分かった)が、男は霧となって消えてしまった。

そして、二人は時を移さず出発してエルサレムへと戻った。そこでは使徒たちが集まり、本当に奴は復活してしまったのか、と震えながら話し合っていたので、二人もまた道中で起きたことを話し始めた。こういうことを話していると、空が俄にかき曇り、風が戸板を強く打ちつけ、稲光が轟音とともに彼らを強く照らし出した。彼らが稲光に細めた目を開くと、彼らの中心にはイエスその人が立っていた。

「お前たちに平和があるように」とイエスが嘲笑いながら言うと、使徒たちは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこでイエスは言った。「なぜ、うろたえる。どうして迷うのだ。我が手足を見よ。まさしく私だ。触ってみるがいい。亡霊には血肉も骨もないが、お前たちにも見えるとおり、私にはそれがある」。そうして手を差し出して見せた。あまりに怯えて震える彼らをからかうように、イエスは「ここに何か食べ物はあるか」と言った。すると一同の中からマグダラのマリアが歩み出たので、イエスは彼女の身体をマントで包むようにかき抱くと、彼女の白い頸へいやに赤い唇を近づけた。そこに至り、使徒たちは腰のライトセイバーを抜いたが、それもまた別の話である。むろん、一つの指輪や九人の幽鬼のこともまた別の話である。




散文(批評随筆小説等) カルパチアからエマオまで Copyright がらんどう 2005-08-12 00:13:10
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