君が悪いんじゃない 「トットとトットちゃんたち」黒柳徹子
白糸雅樹

〜〜以下引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして理由もわからず、大人たちに、まじって逃げた。
助かった小さな子どもたちは、みんな
小さな胸を痛めていた。それは、
家族が殺された理由を、
''自分のせい''と思っていたからだった。
(僕が、お母さんに「やっちゃいけません」といわれたことをやったから、
お母さんは殺されたんだ)
(私が、何か、いけないことを、やったに違いない)
本当は、フツ族とツチ族の争いなんだけど、
そんなことを、小さな子どもたちは、わからないから、
みんな、自分を責めている。
〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
      黒柳徹子「トットちゃんとトットちゃんたち」講談社1997年

 この本は、1984年から1996年にかけて、ユニセフの親善大使として各国を訪ねた訪問記である。
 この本のなかでは、「可哀想だと思いました」「気の毒だと思いました」という言葉が何回も現れる。最初は、この言葉が高みから他人事として見ているようで抵抗があった。しかし、繰り返し語られるこの言葉に、なにか重いものを感じずにはいられない。一箱のキャラメルを手に二人のこどもといるならば、分け合うことは喜びである。しかし、百人、千人の飢えた子どもたちと共にいるとき、一箱のキャラメル、一片のパンは、希望というよりは、むしろ、どうしていいか途方にくれさせるものでしかないだろう。何もできない、そして自分が恵まれた立場であることを否定せず、佇む時に出てくるのが、「気の毒」という言葉なのだろうと思う。
 「気の毒」という言葉は、気の毒だと言われる人々を軽視するものではない。実際、「気の毒」といいながら、そう言われる子どもから「あなたのお幸せを祈っています」と言われた時の尊敬の念をこの本は書き落としていない。「これでゲリラをお探しください」とユーモアのつもりの言葉を添えて渡した双眼鏡を、「いいえ、これで未来を見ましょう」と受け取られた時の気持ちも書き落としていない。
 そして、飢えに苦しむ国の子どもたちの、誰一人として自殺願望を持っていない、という。
 この本でリポートされている各国の状況は、今から見れば古いものが多い。しかし、このように社会があった、ということをことさらな言上げもなく無邪気に語られている、この本を、やはり読んでよかったと思う。
                     2003/12/18


散文(批評随筆小説等) 君が悪いんじゃない 「トットとトットちゃんたち」黒柳徹子 Copyright 白糸雅樹 2003-12-18 01:17:20
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