プー子さんの退職
服部 剛

ある日、仕事を終えて
更衣室のロッカーを開くと
取り付けの小さい鏡の下に
お守りのようにぶらさげていた
5センチのくまのプーさんが姿を消していた

プーさんは
うまくいった日も
へまをした日も
ロッカーの扉を開くと
少しくたびれた僕に
「いつもがんばっているね」と
黙ってほほえんでくれた

数日後の会議で
プーさんをこよなく愛し、
プーさんのようにふっくらした
主任のプー子さんが

「えーっと、わたくしごとなんですが・・・
 このたび、結婚することになりまして、
 10月いっぱいで退職いたします。」

突然のめでたい話に
主任のプー子さんを囲んだ皆の間に
一瞬、沈黙が流れた

思えば自分の姿を見失い
この部署に移動してきた頃
土の中にもぐっていた僕が
豊かな土からのびやかに緑の芽を出したのは
たくさんの欠点に覆われてちぢこまっていた僕の
抱えたひざの奥に植えられた
たったひとつの光の種に
時にぽかぽかとお日様のような
時に慈しみの雨のような まなざしを
主任のプー子さんがそそいでくれていたから

数ヶ月前
移動中の車の中で
ハンドルを握りながらプー子さんは
助手席の僕に
プーさんの話をしてくれた

「プーさんはね、周りの皆に
 お前はのん気に何やってんだ。
 とか言われながらも、
 最後には何故かいろいろとうまくいき、
 みんなに よかったね と言われるのよ。」

僕は

「なんだか、皆が見ないでいる光を集めるフレデリックや、
 最後に兎を追い越して勝つ、亀みたいだなぁ・・・。」

と答えた

今の部署にきてから3年が過ぎた、
プー子主任が休日の、ある日

勤務を終えた後の事務所で
相談員と副主任とパート職員の僕で
コーヒーを飲みながら
11月からプー子さんがいなくなって空く大きい穴を
どうすれば皆で埋められるか話していた

僕が不完全な自分の穴を埋められぬように
見渡せば、誰もがそれぞれの穴を抱えながら
気付いたら、互いの穴を小指でつつきあっていた

頭を悩ませる上司の二人が帰った後
流しで自分のコーヒーカップを洗い
台所の引き出しを開くと
職員の名が書かれたそれぞれのコーヒーカップが
うつ伏せて置かれており
1ケ所 ぽかん と穴が空いていたので
洗いたての僕のコーヒーカップを
パズルのピースのようにうつ伏せた

皆のコーヒーカップは
それぞれが違う形・違う絵柄で
すき間を見えない金の糸でつながれて
一つの引き出しの中にぴったりと収められていた

それぞれのコップに
それぞれの顔を思い浮かべてみつめた後に
引き出しを閉じて
一段下を開くと、一つだけ置かれていた
プー子主任愛用のコーヒーカップに描かれた
プーさんの黒い目が2つ、僕を見て

「君たちは、これからだよ。」

と、黙っていつものほほえみを、浮かべていた 


  *初出 同人誌「母衣」3号 



自由詩 プー子さんの退職 Copyright 服部 剛 2005-08-01 21:49:39
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