僕はきっと虫なのだと思うありふれた夜。
ベンジャミン
僕はきっと虫なのだと思うありふれた夜。
その理由はいくつかあるのだけど、つまりそれは虫であるはずもない僕の外見からは想像もつかない。たとえば横断歩道をわたろうとするとき、わき腹のあたりがむずむずとして、ふと見るとろっ骨のあたりから気弱そうにおずおずと伸ばされた腕がきちんと動き出しそうな車を制しているということ。混みあった電車にやっとの思いで座れたとき、となりのお姉さんがきれいだったのでついつい少しなら触ってもいいかしらと思っただけなのに、気がつくとすっかりにらまれていたりするということ。
僕はきっと虫なのだと思うありふれた夜。
つまりそれは小さな自分がわずかでも成長しようとあがくとき、ときおり生まれ変わったような気分になれるという脱皮の疑似体験。第三の眼が開眼したと思い込んで有頂天になってしまいそうなとき、事の真相というものはもっと奥深くにありけして見通せるものではなく、実際は様々に映る虚像に踊らされているという複眼的な見解。
それでも僕はきっと虫なのだ。
機嫌が悪ければいどころの悪いそれ、腹がへれば情けない声で鳴くというそれ、ちょこまかと動いて目障りだとスプレーを浴びさせられてしまうような、叩かれれば見事にへこんでしまうそれ、そして夏の夜に
耳を澄ませば聞こえてくる小さな羽音。
蚊ではない。
雲かかる月夜にひとときの涼を奏でる。
そんな虫であればいいと思うありふれた夜。
気がつけばろっ骨の間からおずおずと伸ばされた手が、気弱にも懸命に誰かとつながろうとしていると思えるそんな夜。
どうか僕の背中に一対の羽があるならば、そっとこすりあわせて零れ出した言葉が涼しげに聞こえはしないかと願う。
そんな夜。
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タイトル長いー詩