「陽子、詩人と付き合ってはいけないよ」
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「父さん、詩人と付き合ってしまいました」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=41610
N哉さんのこの二つの作品を読んで、ぼくは正直、鈍器のようなもので後頭部を殴られたような衝撃をうけました。前作「陽子、詩人と付き合ってはいけないよ」においては、父親から「陽子」へ宛てた手紙のような語り口で、必ずしも陽子本人に直接語りかけてはいないような雰囲気です。そこがまた、父親としての葛藤と思いやりが浮き立っているようでたまりません。何より、タイトルがあまりにもストレートであり、作品中にある三つの「詩人」の言葉も例として掲げるだけでは惜しいくらいの内容です。(せっかくなので抜き出させてもらいました)
「風が雨の知らせを運んできたよ
今日の動物園はキリンもライオンも泣いている
だからやめとこう」
「君は言ったね
どうして行かないの
それは僕らにはまだわらないこと
きっと明日になれば空が教えてくれる」
「僕は僕の影を追いかけていたんだ
影は追いかけるほど遠のいて
最期には海に飛び込んでしまった」
また、詩人の各言葉に添えられる父親の「これは悲しい」というセリフが効果的で、いやぁこれは確かに悲しいよなぁと納得してしまいます。たとえば日常の中に詩を感じるとき、何気なく口にした言葉が詩であるならば、それはとても素晴らしいことだとぼくは常々思っているのですが、この作品を読むと、必ずしもそうではないのかもしれないと考えさせられました。
そして後作「父さん、詩人と付き合ってしまいました」においては、まずタイトルを読んだ時点で「付き合っちゃったよ!!!」という激しいショックを受けたことは言うまでもありません。前作同様、語り口は手紙文で、陽子から父親へ宛てたものとなっています。しかもその内容が「心配した通り」という期待を裏切らない書き出しで、それが陽子の吐露として記されています。さらに期待を裏切らない展開としては、やはり作品中に三つの詩人の言葉が盛り込まれていることです。(またまた抜き出させてもらいます)
「人生もこの西日同様
眩しく儚く散る定め
おまえの涙も可憐に色づく」
「言葉で殺してはいけない
言葉を殺してはいけない
わかるかい
言葉は生きている」
「ざあざあ雨が降ってきた
僕の傘は開かない
おまえの傘には入れない」
はてさて、この三つの詩人の言葉にも、陽子のセリフが添えられています。「私、泣きました」と、また、( )書きで補足されている陽子のまっすぐな言葉にも胸を打たれました。そして期待以上の展開だったのが、「陽子も詩を書くようになったこと」です。まさしく「書いちゃったよ!!!」という驚き。もう何も言うことはありません。
ぼくも詩を書こうとする人間です。っていうか独身です。
そしてそして父親の気持ちも何となくわかってしまうくらいの年齢になってしまいました。とても複雑な心境なのです。(どう複雑なのかは説明しませんが・・・)
最後に、今の自分の立場からは何を言うにしても言いにくいことなのだけれど。
陽子さん、どうか幸せになってください。
追伸・・・今日は泣き出しそうな曇り空で、ぼくもそんなような言葉をぽつりぽつりと降らせています。何が悲しいわけでもないが、ただその言葉の傍らで君が濡れないようにさす傘をぼくが持っていないことが悲しい。
近所のおじさんBより