そして誰もいなかった
大覚アキラ

ねぇ、奥さん奥さん、見て、あの窓際の席に座ってる男の人。さっきから独りで喋ってるのよ。「ごめんね、ヨーコ」とか、「おれが悪かった」とかなんとか……なんだか彼女に謝ってるみたいだけど……最初は携帯で喋ってるのかと思ったけど、そうじゃないみたいだし。いやよねぇ、この季節ってああいう人が増えて……あ、それはそうと、奥さんちの娘さん、具合いかが? え? 今週退院? あらぁ、そう、じゃあもうすっかり元気になったのね。よかったわ、あたし気になってたのよ、ホント。

ちょっとマスター、あそこの客、なーんかおかしいッスよ。奥さんちの娘さんの具合がどうしたこうしたって、独りでブツブツ言ってさぁ。電波きてんのかなぁ、あのオバサン。ちゃんと金払って帰るかなぁ。あー、見てたらイライラしてきたなぁ。食い逃げしやがったら、ブン殴っていいッスかね、マスター?

というわけで、明日の打ち合わせまでに、この見積もりはちゃんと見なおしておいてくれよ高橋君。このままじゃ、部長カンカンだぞ……おい、高橋君、聞いてるのか?……え? あそこの店員がどうしたって? 独りで喋ってる? 何を言ってるんだ君は! そんなことどうでもいいだろうが! 頼むぞ、しっかりしてくれよ。この仕事受注できないと、ウチの部の存続にかかわるんだからな。まったく……。

おいおい、アレ、見てみろよ。あの隅っこの席のオッサン。なんか書類広げて独りで怒ってるよ。「頼むぞ、タカハシ君!」だってさ。誰だよタカハシって。ヤバくない、アレって? そういえばさぁ、ヤバいっていえばさぁ、おまえ、単位どうよ? 卒業できそうなの? ヤバいんじゃない、留年したらおまえの親父、発狂するんじゃない? 追試ちゃんと受けとけよな、マジでさー。

だからさぁ、どれだけ謝ったって、ヨーコもうアンタのこと信用できなーい。アンタは絶対にまた浮気するって。おれが悪かった? あたりまえじゃん、アンタが悪くなくって、他に誰が悪いって言うのよ。だいたいさぁ、半年前にもこーゆーことあったじゃん? その時も、もうしませんゴメンナサイ許してくださいって、それにだまされたヨーコがバカだったのよね……ちょとぉ、聞いてる? 何ボーっとしてんの? ムカつくー。え? 後ろの大学生? それがどうしたの? 独りで喋ってる? ちょっと。わけわかんないこと言って、話ごまかさないでくれる? ヨーコのこと、バカにしてるワケ!?


散文(批評随筆小説等) そして誰もいなかった Copyright 大覚アキラ 2005-06-23 13:59:26
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