食パン
リリー

 切れの悪い包丁を磨ぎながら
 失われつつある目覚めの幻影も
 ドリップコーヒーのブラックに癒されて
 何も考えない手先だけが
 まな板のオレンジをくし切りにする

 一緒に暮らしている人もいない
 ぽそっと食べる朝食
 食パンは半斤売りの六枚切り
 オーブントースターへ入れる
 それは宛名書きの無い白封筒の様、
 同封されている夢の片鱗

 どうなる人でもなかった
 どうしようという訳でもなかった
 想い人がいた
 秘かにゆれ動く曇った春の下で
 あおいだ空に小さく見えた
 私の姿がなつかしい

 狐色の焼きめに溶けるマーガリン
 冷蔵庫の扉を開けたまま
 四種類あるジャムで気分が迷う
 香ばしい耳は千切って
 カップスープに浮かべる

 出掛けぎわ、バッグへ忍ばす老眼鏡
 エスプリが効いたダークパープルの
 フレームを選んでしまって
 まだ人前でかけるのは恥ずかしい

 そんな本性たちだけど
 過ごしている時間にどれも嘘はない
 帰宅時に、あしたの食パンを買ってこよう




自由詩 食パン Copyright リリー 2026-03-09 12:52:20
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