『だいすき! 僕の運転手さん』
鏡ミラー文志
今日は、韓国映画の『しあわせな選択』を鑑賞しました。
一般的な世界にいる人が仕事が出来なくなって落ちぶれるという過程を私は体験してないからなあ。
親が既に仕事を出来なくなって破産している家で育ったから。
落ちぶれると人さえ殺すという選択は分からなくもないが、私が悲惨な身に慣れすぎているのかもしれないと感じてしまった。もう既に、SNS内で私を殺しに来ている人もいる。強者になろうが、弱者のままでいようが人間が人間を蹴落とし、時に殺人まで行く構図はいつの時代も変わらない。それをコミカルにオペラタッチで描いたというか。
『昔は、ビバリーヒルズコップ良かったよねえ。あの頃の米国映画楽しかった」
などと語ったりしていたが、今悲惨な現状を描いている映画の面白さはクオリティはその比ではない。いつの時代も内容の濃い作品を作る人がいるのだ。
映画館へ行く途中、バス内で閃いた児童文学を。
『だいすき! 僕の運転手さん』
ここは、小学3年生。生徒の鏡文志くんのいる教室です。
「みんなあ。今度の授業はみんなの尊敬する人を知りたいから、みんなどんな人を尊敬するか考えておいてね」
先生がそう言って課題を出すと、生徒たちは一所懸命誰が良いかを考えます。
「誰が、良いかなあ」
と、文志くん。
発表の日が来ました。
みんなはハリウッドスター、宇宙飛行士、アイドル、お父さんお母さんなどの名前を挙げていきます。
さて、文志くんの番です。
「僕の尊敬する人は、バスの運転手さんです。その理由はどこにでも連れてってくれるし、正しい場所に正確に誘導してくれるからです」
「成程ねえ、文志くん。ところでその『正しい場所』とは、ここではどんな場所のことを指しますか?」
と、先生。
「えーと、そうですねえ。ここで言う僕の正しい場所とは、人にはそれぞれ目的地というものがあると思うんです。お菓子を食べたければお菓子のある場所。スーパーへ行きたければ、スーパーのある場所。お風呂へ入りたければ、銭湯屋さんのある場所。そういう英語で言えばピンポイント、ここへ行くのが正解というところへ行くのが正しい場所と言いました。人に限らず宇宙の中を彷徨い、漂流した隕石だって、流れ流れ辿り着いた末に今、落ちているその場所が、正しい場所という気がしています。隕石も人間も自分の意思だけではその場所に収まれない。周囲の環境や因果関係によって、神の法則通りにその場所にいることが出来る。それを正しさと呼び、そこへ安全に運び入れてくださる運転手さんが僕は大好きです。バスの中からは様々なものが目に入ります。人工物、看板。自然風景、樹木。それらのものをゆったりとしたリズムで揺れながら眺めるのが僕は大好きです」
文志君がそう言い終えると、教室は拍手喝采。
「みんな。みんなの挙げてくれたハリウッドスター、カメラマン、テレビタレントさん、お父さんお母さん。そう言ったものへの尊敬を語るのも良いけれど、文志くんの何気ない日常の風景の中に見える尊敬を語るのも、通好みで先生は好きだなあ」
感心する人、嫉妬する人、気に入らない人もいたでしょう。とにかく文志君の発表は大成功を収めたのでした。