書いてあったという
後期
困ったことに、その話を聞いてからというもの、私は電信柱を見るたびに軽い動悸を覚えるようになった。
電信柱が町を歩いている夢をみた。
と、書いてあったという。
それだけ。
だからどうしたと言う事もなく、
ただ、それだけだ。
あの人らしい、と思う。いや、らしいなどと言うのは失礼かもしれない。私はあの人の夢の癖など知らない。ただ、そうであってほしいという私の勝手な願望が、そう思わせるのだろう。
電信柱が歩く。
それは滑稽である。だが同時に、ぞっとする。
電信柱は立っているものだ。黙って、雨に打たれ、鳥に止まられ、子供に落書きをされ、それでも動かない。それが務めである。
それが、歩く。
町を。
まるで、「職務放棄」ではないか?
ああ、と、私は思った。
それはきっと、私のことだ。
私は今日も会社へ行く。決まった時刻に椅子へ座り、決まった顔で挨拶をし、決まった言葉を並べる。立っている。ずっと立っている。内側ではぐらぐら揺れているのに、外側は真っ直ぐでいなければならない。
だが、ある夜、電信柱は歩くのだ。
誰も見ていないところで、ぎしぎしと土を抜け出し、アスファルトを踏みしめ、電線を引きずりながら町を徘徊する。
電線が悲鳴を上げる。
火花が散る。
それでも歩く。
それは逃走か、反乱か、それとも単なる散歩か。
彼はその先を書かなかったという。いや、書いたのかもしれない。だが私は知らない。知らないままのほうがいい気もする。
結末が与えられた瞬間、夢は制度になる。
私は制度が苦手だ。
もし私がその続きを書くなら、こうする。
歩いていた電信柱は、やがて自分がどこへ向かっているのか分からなくなり、途方に暮れて、また元の穴を探すのだ。しかし穴はもう埋められている。誰かが別の新しい電信柱を立ててしまったからだ。
古い柱は、町の外れで立ち尽くす。
立つしかない。
歩いてしまった柱には、もう帰る場所がない。
……いや、やめよう。
私はどうも、すぐに自分の話にしてしまう。電信柱はただ歩いただけかもしれないのに。
けれど今、窓の外に立っているあの柱を見ていると、ほんの少しだけ期待してしまうのだ。
今夜、あれが抜け出してくれたら。
私の代わりに、歩いてくれたら。
そうしたら私は、ここで静かに立っていられるのに。