小説の習作 原稿用紙三頁 #12
田中教平

 時は夕刻だった。
 ユウスケは自分の書いた私小説を妻のカナに読んで貰う事にした。何度か頼んだが、なかなか聞き入れられなかった。彼女は大学の出で、確か文学部卒だったような気がした。わからなかった。歴史分野だったような気がする。ともかく、ユウスケは自分の書いた物に意見を貰いたかった。ユウスケは音楽に於ける文化教養資格士であった。そんなこの地方で役に立たない資格も無かった。この地方にはメディア自体限られていたから。それでも狭い世間でひとに何を言われているか知れぬ。そこの家ではこんな昼間から旦那さんがプラプラ、畑仕事なんかして。ユウスケは朝、夕を小説の時間に宛てた。三頁は書こうと思っていた。インターネット上の友人に言われた、最近何しているの?小説でも書いているの?そんな言葉が尚、彼を小説に駆り立てた。この友情、一生ものだと思ってやけくそになって小説を書こうとした。そのインターネット上の付き合いは解消されてしまった。彼はインターネットも否定したライフスタイルに入ってしまったらしい。

 なぜ妻のカナがなかなか小説を読んでくれないのかわからない。少しの日、願いを申し出てから経った。彼女は一枚の新聞を物置から持ってきた。その新聞には彼女の小説が載っていた。読んでみると、すらすらと物語が入ってくる、ユウスケの文体にあるたどたどしさがない。彼は、ええい、わかった、今の自分の小説では、字面からして妻は受けつけぬ事がわかった。絶望した。
 妻のカナは、適頃にユウスケの書いた原稿にすっと目を通すと、彼に向かって、「時間」についての問題を投げかけた、彼の小説は時間が弛緩していた、それから事件が無いので読ませない、と批評した。中っていた。文章の「価値」について底上げしなければならないと言った。ここまで来ると、もう彼にはお手上げだった。

 ユウスケはなんでもよくなって、早めに風呂に入ったのだが、先に述べられた事を反芻した。批評がなかなか頭から離れなかった。
しかし、文章内容の方向性について否定的に言われたわけではなかった。
 彼はカナ、彼女との日々を書いていた。胃痛について書いていた。禁煙について書いていた。本について書いていた。
 彼は自身が今年三十九になる事を気にしていた。風呂の中で、今朝かたまってしまった脚をよく揉んだ。彼は自身が耄碌してしまうのではないかと心配していた。今は、紙に直接文字を書いているが、いずれ、思い出せなくなってしまうのではないかと考えた。
耄碌の字はモーロク、と埋めた。
 風呂に出ても寂しい気分は続いた。
 そしてユウスケ、彼は妻の小説が載っている新聞に、もう一度目を通してみたのである。


散文(批評随筆小説等) 小説の習作 原稿用紙三頁 #12 Copyright 田中教平 2026-02-23 17:30:37
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