咲子④
たま
咲子(七)
心部(こころ)
▽「心」をもとにしてできていて、「精神作用」に関係する文字を集めた。漢字の偏になるときは「忄(りっしんべん)」、脚の部分になるときは「 (したごころ)」の形になる。
二月だった。
咲子が上京してもうすぐ一年になる。六月の隅田川でくちづけを交わして、咲子とわたしの間にあわい愛が芽生えた。うすい黄緑の双葉でしかなかったふたりの愛は、下井草のアパートで暮らしはじめると、たしかな葉脈を持つあおい若葉に成長した。凍てつく東京の空も街並みも、ふたりの愛を育むひかりに満ちていた。
咲子は毎月の少ない給与をはたいて、炊飯器や湯沸かしポットといった家電や、こまごまとした生活用具を買い集めた。
「ね、今夜なに食べたい?」
「ん、……キャベツ炒めでいいよ」
「もおっ! そんなの、愛妻料理じゃないでしょ。まじめに考えてくれなきゃ、あたしの料理の腕は上がらないわよ」
「おっ、そっかあ。じゃあ、野菜炒めにする」
「……」
朝は咲子の愛妻弁当を持って出社した。
会社にはせまい食堂があって、以前はコンビニで買って来た弁当を食べていたが、やっぱしというか、咲子のつくってくれた弁当は食堂でひらくことができず、わたしの机のパソコンのかげに隠れてこっそり食べた。咲子は食堂で弁当をひらいたが、さすがに咲子もはずかしいのか、なにひとつ不服はいわなかった。会社のひとたちはそんなふたりを、見て見ぬ振りしていたのだとおもう。
二月は年度末のしごとがあって残業日がつづいたが、おそい夕食を済ましてからも、ふたりはこたつに入って向かい合った。
「ね、リクオさん……」
漢和辞典を手にしていつもの問いがはじまった。
「はい、はい。きょうはなんですか?」
「あのね。愛してるのアイは、音読みですか? それとも、訓読みですか?」
「愛?……」
「そうよ、アイ……」
「あれ?……意外とむずかしいなあ……」
「でしょ? うふっ」
「訓読み!」
「ぶー。音読みでした」
「えっ、ほんとに? じゃあ、訓読みは?」
咲子のこの手の問いはたいてい音読みと決まっていたけれど、正直なところアイはわからなかった。
「訓読みは、め-でると、お-しむよ」
四一四頁の四段目に【愛】の親字がある。音読みは、アイ。訓読みは、め-でる・お-しむ。筆順につづいて解字がある。
解字。形声。足の意の夂(チ)と、音をしめす (アイ)とを合わせて、行きなやむ意。のちに、おしむ、めでるの意に用いる。
「愛でると、愛しむ? ん……我が子を愛でる、と……いのちを愛しむ……あれっ? ちょっとちがうよね……」
「うん、ちがう。いのちを惜しむ、の惜しむも、りっしんべんだから、こころの作用なんだけど、惜(セキ)という漢字は、こころに残るという意味だから、もうこの世にはないものとか、自分の手にとどかなくなったものをおもうこころで、愛の愛しむは、まだこの世にあって、手のとどくものをおもうこころ……なんだと、あたしはおもうの」
「ん……まだ、この世にあるものと、ないもののちがい……なの? なんかさあ、それってビミョウだな」
「そうかなあ、惜しまれて亡くなるひとと、愛されて亡くなるひとのちがいってあるじゃない? 惜しまれて亡くなったひとのことは、忘れて生きることもできるけど、愛するひとが亡くなったら、一生忘れることができなくてさ……愛はね、いつまでも手放すことができずに、この手に持っていたい気持ちのことだから、あたしね、愛されて亡くなるひとは、永遠に生きつづけるのだとおもうの」
「永遠に?……ん、それはさ、残されてこの世に生きるひとの未練だろ? 愛したひとの思い出を捨てたくないだけだとおもうよ」
「ミレン? あたし、そんなんじゃないとおもう……」
「じゃあ、なに?」
「ん……よくわかんないけど……ねえ、リクオさんはあたしのこと愛してる?」
「おう! 愛してるよ」
「だったらさ、あたしが先に死んじゃったら、あたしは、リクオさんのこころのなかで、生きつづけることができるじゃない」
「まあ、そうだけど。じゃあ、ぼくが先に死んじゃったら?……」
「リクオさんは、あたしのこころのなかで生きつづけるのよ」
「お、いいね、それ。でも、それってさ、永遠に生きつづけることになるのかな……だって、ショウコが死んじゃったら、ぼくはどうなるの?」
「もちろん、あたしが死んじゃったらおわり……」
「だよね。だからさ、どんなに深く愛し合っていたとしても、ひとの寿命は百年ほどしかないんだから、永遠なんてさ、あり得ないとおもうよ」
「ん、でもさ……あたしたちにね、子どもができたらその子のこころのなかで、あたしたちは生きつづけることができるじゃない。それでね、その子がおとなになって、結婚して、子どもができたらさ……」
「永遠に血がつながるってこと?」
「うん、そうよ。それでね、あたしたちの愛も生きつづけることができるでしょう?」
なんだろう……嫌な感じがする。できれば、こんな話しはしたくなかった。
「あ、ちょっと待って……それはさあ、ぼくたちが、ぼくたちの子どもに、愛されるってことが第一条件だとおもうけど、ぼくはさ、そんなの自信ないよ」
「ジシン?……」
「そう、自分の子どもに愛される自信なんてないってこと」
「あ、それはさ、考えすぎよ。リクオさんが悩んだってしかたないとおもうけど……」
「どうして?」
「愛なんてさ、そんなにたしかなものじゃないとおもうの。ね、解字に書いてあるでしょう。愛には足があるの。それでね、愛は行き悩むものだから、あたしの愛も、リクオさんの愛も、わたしたちの子どもの愛も、ときどきは行き悩んで、愛するひとを見失うこともあるとおもうわよ」
「足?……」
「そうよ。愛には、夂(ち)があるでしょ?」
咲子はわたしの目のたかさに夂の字を指でなぞった。
「あ、なるほど、だから愛は行き悩むのか……ふーん、よくできてるよね……」
「なにが?」
「漢字ってさ……」
「ん、おもしろいでしょ、うふっ」
「でもさ、そんなたよりない愛を信じて生きて行ける人間って、すごいとおもうけど、ぼくはまちがいなく行き悩むタイプだよね」
「あ、……それはだいじょうぶよ。愛の足はね、結婚したら根っこになるの。そしたらさ、もうどこにも行けないから、悩むこともないでしょう……ね?」
「えっ? 根っこになるの?……」
咲子の話しにはいつもあどけないオチがついていたが、ややこしい話しなので、咲子の漢和辞典にある[学習]をここに引用させていただきたい。愛についてより深く知るために。
[学習]「おしむ」の意味をもつ字=〔惜せき〕物をたいせつに思っておしむ。また、気の毒に思っておしむ。〔吝りん〕ものおしみする。度を過ぎておしむ。〔悋りん〕「吝」に同じ。〔嗇しょく〕こだしに使ってやたらと浪費しない。「吝」の意味にも用いる。〔愛あい〕いつまでも手ばなしかねてもっていたい気持ち。
そんな咲子のおさない根っこも流されてしまうのだった。
咲子(八)
糸部(いと・いとへん)
▽「糸」をもとにしてできていて、「糸」や「織物の性質や状態」などを表す文字を集めた。
月末の土曜日は忙しくて帰りは十時すぎになった。パートの咲子はいつものように四時に終えて帰宅すると、夕食を用意してわたしの帰りを待っていてくれる。
「ただいま」
「おかえり……」
咲子の声にはいつもの元気がなかった。浮かない顔をして夕食のならんだこたつに肘をついて座っていた。
「どうしたの?」
「ん、……最悪。姉から電話があったの……父がね、バイクで配達してて、事故起こしたんだって……」
「おとうさん?……怪我は?」
「左足の骨折だって。手術したけどふた月ほどかかるって……それでね、あたしに帰って来いっていうの。姉ひとりじゃ、店番できないからって」
「……帰るの?」
「うん、しばらくね。しかたないから……」
「そうか……ま、お正月も帰ってないしさ、いいんじゃないの。お姉さん助けてあげなきゃあ」
やせ我慢だとおもった……。
「ごめんね。なるべく早く帰ってくるから」
「会社は?」
「しばらく休むって電話しといたから」
「じゃあ、あしただね。あしたなら送って行けるしさ」
「うん……そうする」
翌日、咲子は上野から新幹線に乗ることになった。
「お昼すぎでいい」
十二時四二分発の「やまびこ五一号」盛岡行きに乗って、咲子は一ノ関でJR大船渡線に乗り換えるという。
「遅くならない?」
「だいじょうぶ、五時半には着くから」
気仙沼に……という咲子のふるさとを、わたしはおもい描くことができなかった。一ノ関から二時間余り乗るという列車の窓には、いったいどんな風景が流れるのだろうか。
「ねえ、リクオさんも上野でしょう?」
「なにが?」
「家へ帰るとき、上野から乗るでしょ?」
「あ、そうそう。上野から東北本線の小金井行きに乗って、久喜ってとこで乗り換えてね、そこから私鉄で一時間ほどかな」
「なんていうとこ?」
「羽生……」
上野の駅前にある「つるや」という蕎麦屋で、お昼を食べながらそんな話しをした。高校生のころに、新宿で映画を観た帰りは「つるや」のきつねうどんを食べるのが、わたしのたのしみだった。昭和のころの百円札みたいなかたちした油揚げは、出汁がよく染みていていちど食べたらクセになってしまった。
咲子は天ぷらそばを食べていた。
「どんなとこ?」
「うーん、なにもないとこ。山も、海も、川はあるけど見えないしさ……つまり、平らな町ってこと。関東平野のどまんなかの……」
といっても、そんな風景を咲子はおもい描くことはできなかったはずだ。わたしが咲子のふるさとを、おもい描けないのとおなじように。
「こんどさ、ショウコが家に帰るときはぼくもついて行くよ」
「ん、でも、あたしが先よ。ね、山も海もないとこ……」
「わかった。じゃあ、お盆休みにね」
約束したふたりのあしたは、たしかな鉄路と鉄路でつながっていたはずだ。この国をかたちづくる葉脈のように、解けるはずのない糸で結ばれた固い約束だった……。
六九七頁の三段目に【糸】の親字がある。音読みは、ベキ・シ。訓読みは、いと。[絲]は、旧字体である。音読みは、シ。筆順につづいて解字がある。
解字。象形。まゆからつむいだきいとの形にかたどり、細いいとの意。[絲]は、会意となる。糸を二つならべて、より合わせたいとの意。ひろく、いとの意に用いる。
さらに頁をめくると、七一九頁に羊部(ひつじへん)がある。
羊部(ひつじ・ひつじへん)
▽「羊」をもとにしてできていて、「ひつじ」に関係する文字のほか、「羊( )」を目じるしにして引きやすい文字を集めた。
七二〇頁の一段目に【美】の親字がある。音読みは、ビ・ミ。訓読みは、うつくしい。筆順につづいて解字がある。
解字。会意。羊と、大とを合わせて、肥えた大きな羊の意。のちに、うつくしいの意に用いる。
肥えたおおきな羊を大陸の古代人たちは、うつくしい生きものと、とらえたのだろうか。そのうつくしい理由を問えば、現代人のわたしたちも納得のゆく回答を得るだろう。おおきくて価値のあるものがうつくしいのだ。ただし、日本人の美意識はその対極にも存在する。「うつくし」と呼ばれるもの、あるいは、「うつくし」と呼ぶものの、おおきさでは計れないこころのなかに存在する「美」がある。
ひととひとが交わす約束も、糸の束でできている。その糸は絹であったり、羊であったりするだろうし、たとえ綿であったとしても、男と女の約束は、いまもむかしも、うつくしくておおきなもののひとつであったはずだ。
咲子(九)
人部(ひと)( にんべん)( ひとがしら)
▽「人」をもとにしてできていて「人間の状態・行動・性質」などを表す文字のほか、「人」を目じるしにして引きやすい文字を集めた。漢字の偏へんになるときは「 」の形となる。
「ねえ、リクオさん……」
「なに?」
めずらしくベッドのなかで咲子の問いがはじまった。
「どうして、人間って書くのかわかる?」
「ニンゲン? んーわかんないよ」
「あたしね、ひとはひみつの多い生きものだから、間がいるのだとおもうの。だから、人間なのよ」
「マ? ああ、ひとの下に間があるってことか」
「そうよ、ひととひとのあいだに間がなかったら、どんなひみつも隠せないでしょ?」
「ということは、ショウコと、ぼくのあいだにも間は必要なわけ?」
「うん、そうおもう」
「どれぐらいの?」
「ん、……こたつひとつぶんかな?」
「こたつ?」
「そうよ、こたつひとつぶんだったら、手を伸ばせば届くじゃない。あたしたちは夫婦なんだから、それぐらいがちょうどいいとおもう」
「でもさ、こたつひとつぶんでも、ヒミツはあるわけ?」
「もちろんよ」
「もちろんって、そんなのずるいよなあ。ぼくなんかさ、ヒミツなんてひとつもないよ。それにさ、夫婦だったらいつかばれちゃうだろ?」
「ん……ばれてもいいひみつよ」
「じゃあ、いま白状しろよ……」
「あっ、やだあ! もおー、やだってば……ん、……お尻なめるのはやめて……あんっ!……」
それでも咲子はわたしの詩を隠していたのだ。
一三三頁の一段目から「人部」がはじまる。
部首の解説文のあとに、(人)からはじまって(儼)で終わる単漢字が二〇二個もならぶ。にんべんの(仏)や(傷)、ひとがしらの(今)や(倉)、それは文字通りひとの海であり、ひとの地層ともいえる。
ひとは、ひみつの多い生きものだという咲子のおもいを、二〇二個の単漢字が口々に語りかけてくるようだ。おそらく、ひとのひみつは「人部」だけではなく、漢和辞典にあるすべての部首に存在するはずだから、そうなるともう、わたしの手には負えない数字になってしまう。
けれど、いくつひみつを抱え込んだとしても、ひとはひみつを抱きしめたまま、死ぬことはできないだろうし、いくつひみつがあったとしても、死んでしまえば、たったひとつしか残らないはずだ。それは、この世に生まれて生きたという、たったひとつのいのちのひみつ。
六二三頁の一段目に【生】の親字がある。音読みは、セイ・ショウ(シャウ)。訓読みは、いきる・いかす・いける・うまれる・うむ・おう・はえる・はやす・き・なま。筆順につづいて解字がある。
解字。象形。草木の芽めがはえ出た形にかたどる。ひろく、うまれる・いきるの意に用いる。
訓読みがこれほど多くある漢字もめずらしい。しかもそのすべてが常用漢字として用いられることをおもうと、日本人の生に対するおもいの深さと、多様性を知ることができるだろう。生まれて生きることの多様性を、古代のひとびとは気づいたのだとおもう。
文字は持たなくても、さまざまなことばで、生を表現していたということになる。そうして生をおもうこころは、死をおもうこころにつながって、古代のひとびとは「根の国」を編み出したのだろう。「根の国」とは黄泉の国、つまり死者たちの集う国だった。
その「根の国」を古代のひとびとに与えたものが海であったことはまちがいない。海の向こうに「根の国」があると古代のひとびとは考えた。
肉体を失った死者たちのたましいが帰る場所を、古代のひとびとは海の向こうに置くことで、死者たちの再生を導いたのだとおもう。いのちの芽を育むものとして、根が必要だったということだろうか。
生きることは、行き悩む生のすがたかたちであることを、わたしたちは知っている。行く悩む生の果てには、死が待ち受けていることも知っている。しかし、「根の国」の根は、たましいの仮称であり、生と死を永遠につなぐ輪廻の根源であるとしたら、どこから、どこまでが、わたしたちのいのちなのだとはいえなくなってしまう。
生まれることも、死ぬことも、たましいを得た生の旅の途中なのだということになるからだ。
そうして三月が来た。
わたしの詩を抱きしめたまま、咲子は行方不明者になってしまった。おそらく咲子は三陸の海に流されてしまったのだろうか。
咲子のいのちを呑み込んだまま、海は咲子の詩集になったのだ。
咲子(十)
ワンフロアのだだっ広い二等船室は、船底の固い床の上にあった。
わたしに与えられた畳一畳分の床にごろ寝したまま、単調に響く「かめりあ丸」のエンジン音は、夢のなかにいても外にいても、まるで大きな生きものの心音みたいで、意外と安らかな眠りを誘うのだった。
そのエンジン音がふいに途絶えて、固い床がおおきく横滑りする気配を感じて、わたしは目覚めたのだ。船室の灯りはほとんど消えていて、ほぼ満席の乗客は釣り上げられたマグロのように、船底に転がされて眠っている。
膝枕にしていたショルダーバッグから、ケイタイを取り出してひらく。
[ 04:42 Sunday 29th April 2011 ]
時刻は午前四時四二分。客船「かめりあ丸」が三宅島に着くのは午前五時ちょうどだったから、たぶん、船は三宅島の桟橋に接岸するために、海上を旋回しているのかもしれない。そうおもったとき、船室の灯りが一斉に点いた。
東京~三宅~八丈島航路に就航する「かめりあ丸」が、竹芝桟橋を離れて八丈島に向かうのは、午後一〇時二〇分だった。三宅島に渡航するわたしは昨夜の午後九時すぎに、山手線浜松町の北口を出て東に向かった。東京の海の玄関口へとつづく、控えめな意匠に飾られた歩道を行くと、桟橋はもう目と鼻の先にあって、車道と分離帯がややこしく入り組んだT差路に突き当たると、竹芝客船ターミナルの灯りが正面に見えた。
客船ターミナルの正門らしきところを抜けると、ほぼ円形の広々とした広場があった。こんなところに公園が……と、おもって見回してみるが、床タイルを敷き詰めたフラットな広場があるだけで、それらしき遊具もなく、腰掛けるベンチひとつ見当たらない。しかも、広場にある外灯はすべて点灯されていて、三月の大震災以来、東京はおろか日本中が節電だというのに、どう考えてみても、この広場の持つ意味がわからなかった。
広場の半周を囲むようにしてガラス張りの建物があった。そうなると、広場ではなく、中庭と呼ぶべきかもしれない。駅舎のような平屋建ての建物は、いたるところに出入り口があって、背のたかい扉をあけてなかに入ると、輪を描いた椅子が島をつくって、いくつもならんでいたから、フロア全体が待合室であることがわかる。乗船を待つひとの数は意外と少ない。まだそんな時間帯なのだろうか。
フロアの奥には、乗船チケットの発売窓口がならぶうす暗い壁があって、料金表と共にさまざまな注意書きが掲示されていた。
客船に乗るのは生まれてはじめてなのに、わたしの知ることといったら、ここへ来たら「かめりあ丸」に乗船できるという程度だった。色褪せた注意書きを一枚ずつ丹念に読む。
窓口で乗船チケットを購入する際は、乗船票と呼ばれる用紙に諸々の個人情報や、行き先を明記し、提出しなければいけないらしい。その乗船票は、窓口の前にならぶ年季の入った木机の上で記入することになるが、それにしてもこの駅舎の、歳月と疲労が沈殿した雰囲気は、わたしの親たちが謳歌した昭和の残滓だろうか。
夜の街をひとり歩いて、この駅舎にたどり着いたわたしが流されて行く先に、どのような島が浮かぶのだろうか。ひょっとして、昭和のかたちしたままの遊園地が、いまも黒潮の海に点在し、このわたしを誘うかもしれない。それは夜の海にありがちな、時空にさ迷う幻想とはいえない気がした。
東京湾のいちばん奥深いところにあるこの竹芝桟橋から、東京~大島~神津島航路や、東京~三宅~八丈島航路などを利用して、伊豆七島や八丈島に渉ることができた。
午後一〇時二〇分に出港する客船「かめりあ丸」の航路には、三宅島と御蔵島があって、この二島に渉るひとびとも、「かめりあ丸」に乗船することになるが、片道十一時間余りの航海を終えて、八丈島の底土港に着くのは翌日の午前八時五〇分になる。接岸した底土港に五〇分余り停泊したのち、慌ただしく復路に就く「かめりあ丸」は、ふたたび御蔵島と三宅島を経由して、午後七時四〇分に竹芝桟橋に帰港する。
つまり、一日一便一往復の定期船だった。
午後一〇時。
明日からはじまるゴールデンウィークを利用して、伊豆七島や八丈島に渉るひとびとが、ターミナルの広場に群れていた。おそらく数百名はいるだろうか。ひとびとはとある方向に顔を向けて、整列しているみたいで、穏やかな内海にある養殖用の生けすのなかの、渦巻くあわい魚影のように見えた。待合室の固い椅子にのんびり腰掛けて、ガラス越しにその光景を見ていたわたしは、あっ、と呟いてようやく気づくのだった。「かめりあ丸」の乗船ゲートは屋外にあって、すべて灯された広場の外灯は、乗船を待つひとびとのためだったのだと……。
あと半時間もすれば、東京湾の深い闇のなかへと流されて行くひとびとの、流される理由はひとの数だけあるとしたら、このわたしが流される理由もそのひとつでしかない。
三宅島には次郎さんがいた。
「そうだね……山と海しかないとこだけど、いつでもいらっしゃいよ。飛行機もあるけどさ、めったに飛ばないから船に乗ってね。五月か、六月がいちばんだよね。海も穏やかだし、台風もまだ来ないから、ほとんど欠航しないしさ。七月になると夏休みシーズンに入って、船賃はたかくなるから……」
そういって次郎さんが、咲子とわたしを三宅島に誘ってくれたのは、昨年の秋のことで、阿佐ヶ谷のライブハウスで、次郎さんの朗読を聴いたときだった。
「じゃあ、来年のゴールデンウィークに行きます。ね、リクオさんも行くでしょ?」
もちろんのこと、咲子が行くのであればわたしも行くことになるから、ふたりして次郎さんと約束したのだが、まさかわたしひとりが「かめりあ丸」に乗るなんて悪い冗談だとしか思えなかった。
つづく