谷間にとじる鼓動の傘をおいかけて ―なくしたものと出会える町で―
菊西 夕座
読んでほしいと渡されたのは『霧のむこうのふしぎな町』で、
なくしたものと出会える日々が少女をとおして綴られている。
小径をはずれて森の奥へと風にとばされきえいる雨傘、
少女がおいかけ迷いこんだら霧のむこうにふしぎな町が。
本屋と船具店とおもちゃ屋と、菓子屋のとなりに瀬戸物屋、
通りひとつをかこんだ5軒の店が晴れた霧のかわりにあらわれて
つきあたりの正面に少女の傘が矢印みたいにさしてる屋敷。
その薔薇がつたわる柵ごしに少女をまねいた老婆がみえる。
「まっていましたよミス・ロンリー」と、老婆が私によびかける。
私はミスでなくミスターですし、待っていたのは少女でしょうと答える。
「いいえ、ミスター、あなたはミスをしたの。最愛のひとをおきざりにして」
老婆は笑いながら背をむけて、それでも背中ごしに手招いて屋敷へきえた。
失礼ながらピコット夫人(これが老婆の名前で、屋敷はピコット屋敷といった)、
ところが玄関口に老婆はおらず、かわりに大きな猫のジェントルマンがいた。
ドーベルマンのようだと本で読んで知っていたが、たしかにりりしい猫であった。
子どもだましとわかっていても、感涙はもう受けとったとその瞳はいっていた。
というのも私はこの町を本で読んで知っていたし、ひとつだけの通りはいつも濡れていた。
本屋がさがしていたページは、船具店が飼っているオウムの鳥かごで言語化していたし、
瀬戸物屋の骨董品には魔法で壺にかえられた王太子と王太子妃がまぎれこんでいたし、
おもちゃ屋の仮面をとらない子どもは、飴に化けた母親と虫歯で和解して仮面をとかしていた。
きえたページ、はぐれた夫妻、すれちがう母子、それらを縫合するたびに少女は町に感謝されていた。
むすびつきが強くなるたびに町で素敵な色をみた、<六月の風の色。十一月の海の色。
だんろの中のほのおの色。西にしずむ太陽の色。山の湖の色。>
少女はいう、<西にしずむ太陽の色、大すき。もえているようでいて、どこかさびしげで。>
いつのまにか私は西にしずむ太陽の色だった。読んでほしいという愛しいあなたのかたわらで。
いつか私をなくしても、「霧のむこうのふしぎな町」であなたとふたたび出会うだろう。
ありえないことと無下に閉ざされる、瞳の奥にこそありえない世界はとびらをひらく。
なぜならそれがわたしとあなたの合図だから、ページをひらいてかわした晴れ間だから。
ミスをして私がまよいこむであろう霧の世界に、あなたがあらかじめ用意してくれた秘密の通路。
ファンタジーが奏でる赤や白やピンクやむらさきのツツジがまだらに咲きほこる垣根ごしにみえる、
あなたのすでに通った足跡、鼻孔から吸いこんだ薫りと、みたされた胸から贈られるあたたかな息吹。
もういちど抱きしめくるまれる予感に胸おどらせながら、谷間にとじる鼓動の傘をおいかけていく。
――本をよみつつ、片手で枝毛をさがしながら髪を垂直につまみあげる癖であなただと気づく、雨後のむこうのシルエット。
※<>内は『霧のむこうのふしぎな町』からの引用。