ショート・カット
ホロウ・シカエルボク
アベニューに面した年代物の古いビル群の一角じゃ投身自殺が相次いでいるらしい、拾ったニュースペーパーに書いてあった記事の中で読み物と呼べるのはそれくらいだった、人間一人丸めて捨てられそうな巨大なゴミ箱にそれを投げ、交差点で信号を待っているとどこかの店内放送で懐かしい曲が流れているのが聞こえた、曲名を思い出そうとしてはみたけれど信号が早く渡ってくれと急かすものだからメロディーがどこかへ行ってしまった、ヒット・ソングはあの頃と同じように響きはしない、誰かの墓の前で懸命に話し続けるみたいな虚しさがある、それが華やかなりし時代の記憶だったりしたら、尚更さ、耳の中ではジミヘンが永遠に続きそうなギターソロを弾いてる、そういえば近頃の音楽はイントロもギターソロも必要無いらしいね、世の中がどんどん馬鹿になってるって知るにはそんなエピソードだけで充分さ、街路は酷い冷え方をするから珈琲が飲みたくなって小さな店に入るとさっき交差点で耳にした曲がまた流れていた、どうしてこんなに昔の歌が何度も流れているのかと思ったが、どうやらそれを歌っていたシンガーがあの世に行ったらしい、そんなトピックさっき読んでいたニュースペーパ―には載っていなかった、最新のニュースなのかもしれない、一秒前には誰かが生まれて、その一秒後には誰かが死んでいる、だけどニュースで流される人間は限られている、それだけのことなんだろう、スマホを覗く気にもならず次から次へと流れる過去の記憶に耳を澄ませていると、老いたマスターが能でも舞うような動きでやって来て音ひとつ立てずにテーブルに置いた、そんなことを構えずにやってのける人間こそ尊敬に値する、ごゆっくり、と、痩せた白い髭の老人は小さく、低く、響きのいい声でそう言ってカウンターの中に戻っていった、その一連の動作は子供の頃に剣道の合宿で見た居合の先生の型を思い出させた、同じ動作を果てしなく繰り返していると皆そういう風に動けるようになるのかもしれない、悟りというものは本当は日常の中にあるのかもしれない、いつになく思慮深く珈琲を飲み干して店を出る、またどうぞ、という静かな響きが俺の背を追っかけて来る、それは神のみぞ知ることだ、と俺は思ったけれど、あの老人だってそのことは俺よりもずっと深く理解していることだろう、人はなにもかも手にしているようで、意外と何も手にしていないものなのだ、本屋によってポール・オースターの新しい文庫を買う、そんなにリアクションは良くないらしい、受け取るばかりの連中はいつだって、そいつがまた代表作みたいなものを書いてくれると信じていて、それ以外のものは文字を追うばかりでまともに読んじゃいない、そして作家たちは、他人のことを自分で決められると思い込んでいる連中の為になど文字を綴りはしない、悪循環だけど、それでも何も回らないよりはずっといいのかもしれない、ふと黒いアゲハ蝶が視界の端を過る、おい、二月だぜと思いながら目で追うと、それはただの燃えくずだった、どこかで誰かが何かを燃やしているのだ、廃棄書類とか、洋服とか…自分を裏切った恋人とか―ふと、さっき聞いた死んだシンガーの歌をきちんと聴きたいと思ってCDが買える店を探したけれど、そのあたりにはまるで見当たらなかった、ベンチがひとつだけ置かれた名ばかりの公園でデジタルデータを探して買った、震えながら聴くと昔思っていたよりずっとマシな音楽に思えた、子供の頃の方が音楽へ無駄なこだわりは強かった、だから気付けなかっただけなのだ、そこそこ歳を取ってよかったなと思うのはそんな瞬間だ、昔のアルバムだから四十分もすれば聴き通すことが出来た、イヤホンを外して立ち上がり、空が少し曇っていることに気が付いた、隣近所の県では雪が降っているらしい、その影響がこちらにも押し寄せているのだ、家に帰ろうと俺は思った、歩いているとなぜだか子供の頃のことを沢山思い出した、古い曲を聴いたせいかもしれない、あるいは、身内のほとんどが居なくなってしまったからかもしれない、とある父親と母親が作った三人の子供たちは誰一人まともに育って血を残すことが出来なかった、一人は詩人で一人は引きこもりで一人は精神病院から出られない、そんな人生でも続きがあるだけマシなのだろう、人生の価値を決めるのは自分以外の誰かじゃない、そんな人生の中で何を残すことが出来るのか、そんな命題を前にすれば暮らしの程度などたいした問題ではないだろう、生身で勝負に出られるやつが生き残る、人生は戦場のようなものだ、生き残ることを考え続けなければどこかでじっと弾を避け続けることしか出来やしない、俺は家の鍵を取り出す、がちゃりと捻ると俺が積み上げてきた世界が、何でもない風景のような顔をして佇んでいる、楽な服に着替えてソファーに沈むと、そのまま少し極彩色の夢を見た、答えがある振りなんかやってる暇は無いんだ。