ゾウさんとキリンさん
後期
ゾウは深刻な顔で悩んでいた。
鼻が長すぎるのである。
長いというより、余剰だった。用途不明の延長コードのように、床にとぐろを巻いている。歩けば踏む、踏めば驚いて鼻が跳ね上がり、跳ね上がれば自分の顔面を往復ビンタする。朝から自己懲罰。誰に命じられたわけでもない。
鼻は暇を持て余すと勝手に哲学を始める。
「私はどこまでが私なのか」
考えが長くなりすぎて、結論が鼻先に到達する前に夕方になる。ゾウは昼寝をする。鼻だけが結論を考え続け、翌朝、まったく違う答えを持ち帰る。
「やはり私は私ではない」
ゾウはうなずくが、どこをどううなずいているのかは分からない。
一方、キリンも困っていた。
首が長すぎるのである。
長いというより、縦に遠い。考えが頭で生まれ、感情が胸に届くころには別の考えが生まれている。感動が遅配されるため、映画を観ると必ずエンドロールで泣く。内容とは無関係に。
首が長いせいで視野が広すぎ、世界が常に引きの画で見えてしまう。細部に集中できない。悩みも常に全体像でやってくる。
「生きるとは何か」
その問いが首を下りてくる途中で枝に引っかかり、葉っぱを一枚連れてくる。キリンはそれを見て満足する。答えとしては十分だった。
二頭はある日、柵越しに出会う。
ゾウの鼻は無意識にキリンの首を測り始め、キリンの首は反射的に高さを調整する。結果、二つの「長すぎる」が絶妙に釣り合い、意味のない均衡が生まれる。
観客はそれを「仲良し」と呼ぶ。
しばらくして二頭は気づく。
困りごとは解決しなくても、共有はできる。
長すぎる鼻は、長すぎる首に話を聞いてもらえる。
長すぎる首は、長すぎる鼻に見下ろされない。
その瞬間、動物園の説明板が少し長くなる。
「本動物は進化の結果、やや過剰な器官を有しますが、
本人たちはそれなりに折り合いをつけています」
ゾウは鼻を一巻き減らし、キリンは首をほんの少しだけ縮める。
誰にも分からない程度に。
分からない程度が、ちょうどいい。
世界は今日も、少しだけ無駄が多い。
そしてその無駄こそが、なぜか一番よく機能している。