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この作品は2連目が一番好きだ。
> 新入生だけが声をききます
> お昼にはそろって帰ります皆
> しんと黙って一列になって
> 歩くときにだけきこえます
この作品で書いている四月というのは上のような風景が存在する四月だ。お昼
にそろって、しんと黙って、一列になって帰る。葬列のような下校だ。新入生
としての不慣れと牽制となぜだかフォーマルに振る舞わなければならないとい
う静かな号令がある。校庭の乾いた土を擦る音が一歩一歩聞こえるような風景
だ。ゴゴゴォ、と音をはなって迫る緊迫感ではなく、静かに各自の襟元あたり
からすっと忍び込むような緊迫感だ。
冒頭の墓の登場で、ほんとに葬列のようになっている。墓に向かっているわけ
ではないので葬列の帰り道なのだが、墓を背後に帰路につく学生たちには前が
見えない。不安や風に舞う桜の花びらが彼らの眼前を遮っている。
このような帰路を辿るのは、あとどれほどの間だろうか。次第に桜も散り、不
安もなくなり、目の前には青空や山田商店のノボリや新しい制服のスカートが
映ることだろう。この葬列の寿命はほんのわずかなのだった。そしてたくさん
あった墓の存在も彼らの記憶から徐々に薄れてゆくだろう。
作品はこのわずかな間にしか存在しない情景をとらえ、「四月の遊び」と称し
ている。なんとなく愛でるような感じも受ける。「昼の呼吸」などというもの
を感じられるのはこのわずかな間だけで、空気の濃密さなど僕たちの生活のな
かでは本当に本当に些細で気にもとめないものだ。気にとめるのは詩人くらい
だ。
新入生たちはこの瞬間、誰もが詩人になる可能性を持っている。もちろん詩人
になりたい人などめったにいないので四月の遊びの終わりはすぐにやってくる。
来年の春、その背中に墓の存在を感じとった一人の男子学生、振り返ると桜吹
雪の向こうに一人の少女。いつかどこかで出会ったような・・・。詩人になって
もかまわないし、純愛アドベンチャーの主人公になってもかまわないな。
全体的に静かに物事はとらえられるが、僕はもっと内に潜むもののダイナミッ
クさみたいなものを期待したい。最終連で
> いつか誰もが学校に慣れます
> 墓は土くれを撒き散らしながら
> 拡がる期待に満ちて
> います
と書いているのは良いと思う。「撒き散らしながら」「拡がる期待」が波打っ
て浸透するような感じを受ける。拡がる期待は裏を返せば忘却の波だ。死んで
いった人々は忘れ去られてゆく。勢いよく忘れ去られていく光景というのはな
かなか爽快だと思った。感傷に浸らなくて良いと思った。