ぼくは泪でつき従う
百富(ももとみ)

+

 しばらく過集中が続いた。殴られて治癒された傷あとが疎ましかった。オトウサンって言葉をなきものにしたいと願った。ぼくを守らない母を暴力の同族として、まとめて俯瞰して、全人類から、ぼくを家族から、救いだしたかった。



 救いのあとに導かれたこの場所で真実と出逢えた笑顔のぼくさえ、灰いろにして、まっぷたつに焼いてしまおうと考えた。



 傷だらけの実績をまとめたレポートはA4用紙37枚を超えていた。火をつけても燃やしきれないほどの憐れなおこない。ぼくは反キリストを恐れながら、反キリストと同じ方向を向いていた。



 Webアーカイブのページにアクセスして、傷の履歴をあさり、本人が削除済みのブログの記事まで辿りついた。無のさきにあるトンネルほどの過集中。



 本日、もうすこしでおちるほどの闇のなかに淡い黄昏れがみえた。友人の言葉がありがたい。感情のながれにひとすじの守りたい気持ちの導火線がみえたんだ。友人は、ぼくにいった、卑怯だって。



 感情の波のとぼしいいまのぼくには、その言葉がとても謙虚に響いた。言葉にとって感情のながれは生命の気質を示しだす。



 いまは息ができる。ぼくはなにをはじめようとしていたのだろう。傷ついてばかりではない。傷の場所で、同時に温められる布ぎれの想いだってあるはずだ。



 わるいやつなんて、ひとりもいないのだろう。自らの正義など、正義のヒーローが脱ぎすてた布きれみたいに名前のないものさ。



 ぼくは家族でありがたいのだ。ぼくは去年の夏を誇りに想うんだ。確かな気持ちで想いあった光りのように、いまを微睡むのだ。



 もう誰も訴えようとしない。キリストが、いつでも、そういっている。ぼくは泪でつき従う。嬉しいんだ。まだ感情があるってこと。

+


散文(批評随筆小説等) ぼくは泪でつき従う Copyright 百富(ももとみ) 2026-01-26 21:00:02
notebook Home