【映画『PERFECT DAYS』──あるいは安全な賭け】
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=394970
中田満帆氏はベンダースの『PERFECT DAYS』につい
てこう書く。
清掃人に僧侶を見るのはなにも勝手だが、
実際に公衆便所を職場とする労働者はこ
の映画に於いて疎外されている。
わたしもトイレ清掃の職歴があるので、中田満帆氏と
同じく『PERFECT DAYS』という映画がリアルなトイ
レ清掃おばさんたちの「あまりおもしろくねえよ、こ
んな仕事」という本音を隠蔽したことに苦言を呈した
い気持ちが少しある。だけど、
そのように指摘してしまうことにどうも居心地の悪さ
を覚えるのです。中田さんが仰ることは確かに事実だ
けど(また、LGBTQ法案の成立によって主婦や子ども
に生じた公共トイレ利用へ不安などもこの「トイレッ
ト映画」?では捨象されています)けれども
それを口に出すことにためらいを感じさせるものがこ
の映画にはある。
それはなにかというと、制作者側からすれば
CMなのに労働者の苦悩なんか出して
製品が売れるかっ!
というはなしなんです。
この映画はもともと渋谷にある公共トイレを美しくハ
イテクに作り直すプロジェクト『THE TOKYO TOILE
T』の宣伝用CMとして提案されたものです。日本財団
の笹川順平らが提唱しているプロジェクトですが、こ
の事業には安藤忠雄、隈研吾といっ世界的建築家が関
わり、CM映画をヴェンダースに依頼したのはユニクロの
グローバルな企業家、柳井康治だといわれています。
シナリオは電通のトップ・クリエイティブ・ディレク
ター、高崎卓馬が書いています。(ついでにいうと現
在3期目の渋谷区長、長谷部健も、もと博報堂のトッ
ププランナーだった人物です)
つまりこの映画の成立にあたっては広告業界や建築、
経済界の「凄い人脈」が蠢いているのです。
電通の高崎卓馬は広告業界では知らない人がいないほ
どの人物で処女連作小説『はるかかけら』を書き
映画『ホノカアボーイ』の脚本も書いています。
またJR東日本のCM、『行くぜ、東北。』シリーズでも
有名です。
この高崎卓馬が書いたシナリオと手紙を受け取ったベ
ンダースがインタビューでも述べていますが「CMでは
なく映画にしようと」と逆提案したのです。
でも、
小学生のときに白黒テレビの深夜番組で『第三の男』を
観て以来、映画の世界に魅せられて半世紀以上映像表
現をみて研究してきたたわたしの側からいうと、
ベンダースの『PERFECT DAYS』はわたしの眼からす
れば半世紀─50年以上も遅れてやってきたクリシェな
CMだよってはなしにもなります。
例によって例のごとく世間ではだれもやっていないわ
たし独特の見解になりますがお付き合いのほどよろし
くお願いします。
さて、
みなさんは覚えていらっしゃるでしょうか、1983年
からお茶の間に流されたサントリーレッドのテレビCM。
日本を代表する女優のひとりである大原麗子が「少し
愛して、長~く愛して」と可愛らしく色っぽい声で語
りかけるその見事な映像は日本を代表する映画監督の
ひとり市川崑が撮ったものでした。このCMはお茶の
間を席巻したのですが、中田満帆さんのように「主婦
の日常の苦労が疎外されている」とは、だれもいいま
せんでした。勿論、主婦の苦労は全部隠されているの
ですが、それに批判など出るはずもなかったのはその
映像が映画ではなくCMだったからです。
でも市川崑は大原麗子の肌の艶のうつくしさとコケ
テッシュな色気を表出するため、監督としての
すべての技能と経験をこの15秒から30秒のCM映
像に注ぎ込んだと語っています。
「少し愛して、長く愛して」(シリーズのごく一部)
https://www.youtube.com/shorts/2DFuhu4vibs
これが五十年以上前のCMだとは信じられません。
しかし市川はこれを自分の「映画」とはいいませんで
した。たしかに映像作家として心血を注ぎ込みました
が"映画監督としての行為"はなにもしていません。
だって、
これを映画というのならば、仮に中小企業を一掃する
ような巨大企業を利する経済政策のCMや、
特定民族が弾圧されて織るような綿製品のCMをやむ
を得ず撮ることもある映像表現者としては、この区別、
境界の見分けは絶対のものであるべきでしょう。
CMをつくるときの映像作家はいわばカメラのレンズ
のような存在で、そこに
自己の思想信条を反映させるよりまず製品を売るため
に制作会社が提供したコンセプトをできるだけクリア
に受け入れて作品に反映させます。しかし
映画監督が自分の映画をとるときは映画監督としてじ
ぶんの映画を撮るのです。映画監督がCM制作との境
界を意識できないようではオシマイです。
しかし『PERFECT DAYS』のベンダースはどうも、こ
の境界が曖昧だったように思うのです。いや、むしろ
その境界を電通的知性集団と共謀して、越境してゆこ
うとしていた──。
その試みは時代の流れとしてよしとするのですが、問
題はそのくせ、CMだから許されていた現実問題の
「捨象」や「疎外」についての批判をCM的な構造を
入れることで、かわせてしまっている。
いわばベンダースの『PERFECT DAYS』は市川崑の
『少し愛して、長く愛して』CMシリーズとは違って、
カモノハシのような、どっちつかづの狡さと曖昧さを
そなえた奇妙な"CM&映画"だったといえます。
この狡さと曖昧さは「電通映画」の特徴といえるかも
知れません。
電通的知性のトップランナーである高崎卓馬がつくっ
たJR東日本のCMは、わたしからみるとまるで黄泉の
国の幻想のように、そこにはまるで泥臭さがなく、な
にか霞がかった空気のなかできれいな女優さんや、善
男善女が登場して「お約束」の芝居を打ちます。当然、
JR東日本にまつわるあらゆる醜聞や労働問題など入り
込むわけがありません。だってCMですから。
そしてそのCMをみた不特定多数の最大公約数の声が、
「やさしい気持ちになりました」
「ほっこりする」
「癒やされました」
となる。わたしはこういう声がもつ不気味さについて
はよく承知しています。だって電通的知性の代表である
高崎卓馬はその連作小説「はるかかけら」の二部で突然
南インドの貧しい村にとび、兄と妹、そして母の強い絆
がたどる悲劇的な運命を描いているのですが、南インド
あたりで巨大牧場に奴隷のように従事している子どもた
ちの悲劇などまったくわかっていないで、
「やさしい気持ちになりました」
「ほっこりする」
「癒やされました」
という読後の人々のことばに変えている。
つまり電通的知性はあらゆる悲劇ですら材料として消
費して食い尽くし「ほっこり」したものに換えてしまう
し、ベンダースのような世界的才能すら、ただの素材
として電通的知性に組み込まれ消費されてしまう。これ
が不気味でなくしてなんでしょう?
そうすると田中満帆氏の批判、
清掃人に僧侶を見るのはなにも勝手だが、
実際に公衆便所を職場とする労働者はこ
の映画に於いて疎外されている。
という指摘はなにやら場違いなものじゃないかという
ことになります。つまり映画なら妥当な批判ではある
けれども、CMとも映画とも、どっちともつかないカモ
ノハシのような奇妙な映画?は、その批判は、するりと
すり抜けてゆくのです。
『PERFECT DAYS』を批判するなら、まったく別の次元
から批判する必要があるような気がします。
さて、
"CM&映画"としては先に述べましたように半世
紀も前にすでに日本では最高峰の映像ができあがってい
ました。この手の"CM&映画"の特徴とまではいいませ
んが、日本の映画CMは役者の個性に頼り切ります。
ラストはその表情のアップで終わることが多い。日本
映画のむかしからの特徴として「顔芸」に頼る傾向が
あるといわれますが大原麗子の顔芸は、CMをみてもら
ってもわかるとおり役所広司の顔芸に一歩もひけをと
らないものでした。
大原麗子っていう女優は、
見かけとは正反対のとんでもない女優で、演技に関して
はそれこそ僧侶のようにストイックだったことが自伝か
らもあらゆる証言や資料からも読み取れます。まず、
台本はどんなに長くてもすべて自分以外のその他大勢
のセリフまで暗記しないと気がすまない。通りすがりの
役のわずかなセリフの一語の間違いも指摘して高倉健が
仰天したというエピソードもあります。大嫌いな相手役
の男優と直前までその男優が数時間ちかく遅刻したこと
を巡って激しく口論していたのに、スタートのガチンコ
が鳴ると、その男優相手に妖艶な、心から愛している女
の演技をする。
そういう女優さんだから注目していましたが、
あのCM映画での表情は決して役所広司の顔芸にまけて
いなかったとわたしは思っています。
ま、そんなことは本論の主旨とはあまり関係ないのですが、
大原麗子が心酔していた映画監督市川崑とコンビを組んで
作られた「少し愛して、長く愛して」シリーズを制作し
た当時のCM制作における精鋭集団は、『PERFECT DAYS』
を制作した電通的知性集団とは対照的でした。
サントリーのCM「少し愛して、長く愛して」(シリーズ)
を制作したのは電通ではなく博報堂です。
博報堂は1895年(明治28年)に大阪で創業された広告会社
として、東京を拠点とする電通と広告業界の覇を競ってきま
した。
この一世を風靡したCM制作に関与した人物は当時のジャー
ナルな文学的知性を結集したものになりました。
もともとサントリーの宣伝部には開高健、山口瞳、椎名 誠
柳原亮平ほか、錚々たる面々がそろっていました。
そこに当時、最精鋭といわれた博報堂の
(ながくなり過ぎたのでつづきは次回)