祈りとコーヒーと
本田憲嵩

祈ることはいつだって丁寧さに連結され、そして場合によってはさらにそこにけっして焦ることのない時間が上乗せされる。
たとえば某初代特撮俳優のドリップコーヒーの淹れ方。細口ケトルからお湯を一滴一滴。まるで点滴のように細やかに垂らしながら。手首をぷるぷると震わせながら。きわめてきわめてゆっくりと。それはそれはきわめてゆっくりと。じっくりと時間をかけながら。そのケトルを持つ腕は常にしっかりと固定させながら、少うしずつ少うしずつ。「おいしくなぁれ」、「おいしくなぁれ」。(ドリッパーやサーバーにはあらかじめお湯を通しておいて。その温度を均一に温めておいて)。(ああ、とても甘くて苦いコーヒー豆の香りがまるで武士道のように漂ってくるようだ)。やがて、すべて注ぎ終わったあとにはサーバーの中でやさしくかき混ぜてゆくのも決して忘れずに。そのサーバーからさらに注ぎ入れてゆく器はお決まりのコーヒーカップではなく、あらかじめ温めておいた茶道で用いる抹茶用の陶器の茶碗。それを両の手に取って、目を瞑りながらそれはそれは静謐に「おいしいコーヒーになってください・・・」、「おいしいコーヒーになってください・・・」「・・・ありがとう・・・」。さらにそこからもうひと手間。それを茶筅で何度もかき混ぜてかき混ぜてしっかりと泡立ててゆく・・・。
その光景を目の当たりにした、そのコーヒーを喫してゆく人の面持ちもその所作もまたそれはそれは静謐な「祈り」の形そのものである。「・・・ありがとう・・・」「・・・ありがとう・・・」。



自由詩 祈りとコーヒーと Copyright 本田憲嵩 2026-01-25 00:59:36
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