mimicry
ホロウ・シカエルボク


暗闇が揺蕩うその瞬間世界に生まれる穏やかな亀裂、その断面にこっそりと刻まれた小さな文字を口にしてはならないと言ったのは決して姿を見せぬ者だった、その声は風に揺らぐ枝葉のように静かだったが、でも確かに聞き取ることは出来た、いや、そもそも姿など持たない者なのかもしれない、今となっては確かめようもない、その時目にすることが出来なかったものは他のどんな時にも目にすることはないだろう、通り過ぎたものにこだわるのは愚かだ、すぐに引き返すことが出来るならそうすればいいがそんな余裕のある時間など誰にもそうそうあるわけではない、それを手にしたみたいな顔をするのは途中で諦めたやつくらいさ、記憶は歪むだろう、そして拗れるだろう、そこに閉じ込められた過去たちは二度ともとの景色に戻ることは出来ないだろう、食事と同じだ、必要なものだけが吸収されてあとはどこかで排出される、あるいはそのまま留まって災いを起こす、食事と違うことがあるとすればそれは薬なんかじゃどうにもならないってことくらいだ、現実と幻覚はどうしてこんなに寄り添うのだろう、まるでどちらがリアルな存在なのかわからなくさせようと目論んでいるみたいだ、俺は唇を噛む、薄い唇から滲む血など味わうほどの量でもない、吸血鬼が美女の首筋に噛みつくモノクロの映画を見て興奮を覚えたことはあるか?それはいったいどんな種類の興奮なのだろうか、ただ美しい女を見て心が騒いだだけか、それとも、吸血という行為によるものなのか、それともそこに性的な暗喩を見出したせいなのか、どれなら良くてどれが悪い、そんなもの決めたところで誰がどんな納得を得るというのだろう?確かに快楽や性癖は思考の入口にもなり得る、でも頭で知ることが出来る項目は限られている、主義主張やテーマに引き摺られながら書いている連中はその時点で底が知れている、それは始点の段階でわかる、理路整然と語ろうとするとわからないものに目を向けることは無い、まだ知らない物事の中にこそ真実はある、知ってるつもりで書き続けられるほど甘い世界じゃない、体感して覚え込んでいくものが増えれば増えるほどそれは増えていく、決して同じ程度になったり、少なくなったりすることは無い、それは生きている限り無限に存在している、そう、存在するための材料―餌だ、俺は毎日そういうものを食って生きている、それを食らわなければ満たされることがない部分がある、存在の胃袋はとかくあらゆるものを食らいたがる、まだ足りない、まだ足りないと足をバタつかせる、だから俺は慌てて言葉を並べるのさ、知っているものの中にだって知らないものがある、だから俺は書いている、書き続けている、自分の中に潜んでいる謎に向かって、そこを知り続けることが出来るならそれ以外のものはわりとどうだっていい、俺の知るべきものを隠し持っている出来事以外には何の興味も無い、下らない世間話に時間を割いている暇など無いんだよ、主題は繰り返される、一度語られた言葉がまた出て来たがるうちは何度でも語るべきだ、それは完全に語られてはいない、そもそも言葉で語ることが出来ない領域を語ろうとしているのだから、納得出来るまで書くのは当り前のことだ、たとえ同じフレーズでもアプローチは決して同じにはならない、それは本人の意識していないところで調整されている、主義や主張に引き摺られているわけではない、もっと本能的な感覚によって調整されている、無意識の領域から手が加えられている、そう、如何に手の届かないところ、意識の及ばないところに近付けるかというゲームなのだ、最適な攻略法など無い、行きつくゴールもない、一度として重なることの無いフィールドの中でその時その時の感触を掴まなければならない、なるべく頭の中を真っ新にして、指先がどこへ動きたがっているのかというのを理解しなければならない、どれだけのスピードで、どんな語り口で進行するのかを掴まなければならない、まるでレースのようだ、それもオフ・ロードだ、状況は常に変化する、その中で瞬時にラインを選択しなければならない、どこを選んだら正解で、どこを選んだら間違いというようなものでもない、ただ選択して、走り切る、どんな流れに乗るのか、或いは流れを作るのか、行く先を見つめながら、その道がどこへ伸びて行こうとしているのか見極めなければならない、ほんの少し違う、いつだってほんの少し…一日だってそうさ、同じ人生を歩いている人間なんて居ない、そうじゃないといけないはずだ、それぞれが一日の中で、あらゆる感情の中で自分自身を修正していく、その中で今日はこちらへ行こうとか、逆に行ってみようとか、様々なことを試みては良かっただの悪かっただのと一喜一憂する、そう、結局はそういう当り前の押し花のようなものだ、色を付けて形を決めて押し潰すのだ、それは正解の提示ではない、ただその日その場所に居た、感覚と感情のピンナップだよ、俺がこうして言葉を並べる時、俺の数日のすべてがそこにある、これを読んでいる間だけ誰かが俺になろうとする、そんなことのすべてが俺はずっと、愉快で仕方が無いんだよ…。



自由詩 mimicry Copyright ホロウ・シカエルボク 2025-12-30 20:23:38
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