山あいの小さな村に、おばあさんが静かに暮らしていました。
かつてはおじいさんと二人、ささやかに日々を分かち合っていましたが、
おじいさんは数年前に旅立ち、それ以来、おばあさんは一人、
窓辺に昇っては沈む陽を数えるようにして、季節を送っていました。
歳月は、そっと記憶の糸をほどきながら、思い出の形を少しずつ軽くしておりました。
その為、道に迷う日もありましたが、村人たちはその手をやわらかく支えました。
受け取った笑顔が胸に灯るたび、その温もりはむしろ、
自分がいま細い糸の上を歩いていることを静かに悟らせるのでした。
おばあさんが村の子どもたちに物語を語るとき、
それは昔、ひとつの光がこぼれるような時間でした。
けれど今は、話の輪郭が水面の木の葉のように揺れ、
子どもたちはときどき首をかしげます。
「ねえ、おばあちゃん。今日のお話は、どこに行ったの?」
幼い声に、おばあさんは微笑みました。
「さあねぇ、虹の向こうへ飛んでったのかも知れんのよ」
子どもたちはその答えに戸惑いながらも、冷えた手をそっと握りました。
その手にはまだ、遠い昔の子守歌のあたたかさが微かに残っているようでした。
雨上がりの夕暮れ。
洗われた空に、七色の橋がふいに現れました。
「見て、空に橋ができたよ!」
子どもたちの澄んだ声が村にひろがります。
おばあさんは窓辺に立ち、虹を見つめました。
「あの橋が、青空に溶けてしまう前に……」
胸の奥で、忘れていた夢の国の歌が、
ひっそりと目を覚ましました。
やがて虹は暮色に溶け、空には七つの星が整いました。
金色の柄杓をかたどり、静かにふるえながら輝いています。
その光をすくうように、白く澄んだ一羽の白鳥が、
音もなく庭へ降り立ちました。
おばあさんは戸を開けました。
白鳥は羽をひらき、深く首を垂れました。
その姿は、誰かがずっと前に交わした約束を、
静かに思い出させるものでした。
胸の奥では、長い孤独を包むような温もりがひろがります。
「……来てくださったのですね。」
おばあさんがそっと手を伸ばすと、白鳥の羽は夜風のように軽くなり、
触れた瞬間に、重さという重さがほどけていくのでした。
魂は、静かな光の方へとふわりと浮かび上がります。
白鳥は夜空へ舞い上がり、七つの星のひしゃくを渡るように飛んでいきました。
ひとたび羽ばたくごとに、銀の光があたりをやさしく照らし、
村の屋根を淡い揺らぎで包みました。
それは涙の河を渡る魂に寄り添う、静かな道しるべのようでした。
村の人々は音もなく空を見上げ、子どもたちは胸に手を当てました。
夜の深みに吸い込まれる光の軌跡を、祈るように追い続けたのです。
夜明け。
おばあさんの家の前に、ひとひらの白い羽が落ちていました。
露をまとい、かすかに七色の光を宿しています。
それは、虹がまだ村に名残を置いていったような美しさでした。
子どもたちは羽を抱きしめ、そっと思いました。
「おばあさんは、子どものころ見た夢の国へ帰ったのだ」と。
それからというもの、雨上がりの虹を見るたび、村人たちは空を仰ぎました。
姿こそ見えなくとも、手に触れることはできなくとも、
悲しみの向こうにある静かな優しさがそっと胸に寄り添うのを感じるのです。
白鳥は今日も、透明な翼で魂を夢の国へと運びます。
虹のふもとでは、おばあさんが涙の河の岸辺に立ち、
かすかな光の中で微笑んでいることでしょう。
※原作の歌詞「二度童子の魂を運ぶ白鳥の歌」を創作童話に修正しました
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