すすき野原で見た狐(上巻)
板谷みきょう

序章:帰郷
山の奥深く、すすき野原に囲まれた小さな村へ、一人の男が戻ってきた。名は与一。

日の照る一本道を、荷車を押しながら、ゆっくりと坂を登る。荷台には埃をかぶった古道具や、異国の飾りのようなものが山と積まれ、まるで祈りの漂流物を運ぶ流れ者のようにも見えた。

村人は、知っていた。与一が、貧しさに耐えかねて村を出ていった若者であることを。だから誰も声をかけず、ただ遠巻きに見つめるばかりだった。

与一は、生まれた稲荷神社の前で立ち止まる。雑草に呑まれ、屋根も壁もくすみ、昔日の面影はない。

夕ぐれの茜雲が流れ、影が長く伸びる。与一はしばらく立ち尽くし、ふと、熱いものを拭った。

「……もう一度、ここからだ……」

小さくつぶやくと、荷車から品々を降ろし始めた。十字架、仏像、神棚、曼荼羅――由来の知れぬ祈りの欠片たちが静かに陽を浴びる。

その決意は、誰にも知られぬところで、ひどく孤独だった。

第一章:すすきの影の狐
すすき野原の奥、薄い影の中に、一匹の狐が身を潜めていた。
「おやっ……めずらしい事もござっしゃる。 村を出て行く者は、たあんと見掛けたことがあるが、  村を訪れる者がござっしゃるとは……。」
狐は草を揺らさぬよう首を伸ばし、与一を凝視する。
それにしても、あの男の、なんと変てこな格好をしてござっしゃろう。  あれほど汗を流して……引いておる荷は、いったいなんじゃろう……とんと見当がつかんのぅ……」
狐の目には、ぼろをまとった男が、寂れた社へせっせと何かを運び込む姿が映った。
愚かにも見え、どこか純朴にも見える、不思議な男。
やがて与一は村人に声をかけ、話しかける。遠い異国の地で飢えを救った“ジャガタラ”の種を植えるという、夢のような物語だった。村の年寄りたちは誰も取り合わず、鼻で笑った。
狐は、そのやりとりを見て、ふと胸がちくりとした。自らも、化ける練習をするとき、似たように笑われた気がしたからだ。
狐は夜な夜な、木の葉を頭にのせて回る。だが耳は残り、尻尾はのぞき、形は歪む。
「狐ハ、人ヲ騙シ、化カスモノ……と決めつけたのは、誰でござっしゃろう……」
悔しさと情けなさが、胸の奥に重く沈んだ。
第二章:奇妙な畑と小さな贈り物
与一は社の周りの土地を耕し、ジャガタラの種を植えた。誰も手伝わず、誰も信じない。
それでも毎日、黙々と土をならし、芽の気配に耳を澄ます。
作業を終えると、与一はこっそり雑木林へ向かった。狐が化けるたび、葉っぱが破れていたことに気づいたからだ。
クヌギ、ナラ、モミジ。形のよい葉を選び、狐の足跡のこぬ場所へ、そっと置いては自分の足跡を、枝で払って消す。
狐はその葉を見つけるたび、「……ふむ」と、ほんの少しだけ目を細めた。
喜びは小さく、声にもならぬ。だがその静けさこそ、狐の精一杯の感謝だった。
夜、狐はまた葉をのせて回る。失敗すれば、肩を震わせて悔しがり、また新しい葉を取りに行く。
孤独な努力が、与一のひそやかな心遣いと重なり、言葉はなくとも、不思議な連帯が芽生えつつあった。
第三章:小さな芽と小さな焦り
季節がめぐり、畑にようやく幼い芽が出た。頼りない、弱い緑。
与一は毎日水をやり、腰を折って見守る。村人は笑った。
「芽ひとつで、なにが実る。何が育つ。」
与一は返さない。その沈黙が、狐にはどこか痛々しく見えた。
狐もまた、化けぬ己に焦りは募るばかり。月明かりの下で回るたび、すすき野原がざわりと鳴り、その音が胸の奥まで揺らした。
ただ――与一が葉を置いていった夜には、狐の足取りは、少しだけ軽かった。
「……ちいとずつで、ええ」狐は誰にも聞こえぬ声でそう呟き、息を整え、また回る。
終章:交わる孤独
ある凍える夜、与一はそっと野原を歩き、狐の練習する姿を見つけた。焦げ茶の耳が覗き、尻尾が揺れ、それでも必死に葉を押さえ、回る姿。馬鹿げてもいる。けれど、胸の奥を打つ切実さがあった。
与一は、声にせず拳を握る。(がんばれ……がんばれ)その念のような想いが、冬の空気を通して、狐に届く。
狐は葉の置き方を変え、足の運びを変え、焦燥を少しずつ、静かな希望へ変えていった。
与一は葉を集めることを。狐が化けることをやめないこと。どちらも、孤独な者だけが知る、かすかな頑張りだった。


原作「すすき野原で見た狐」を修正しました
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散文(批評随筆小説等) すすき野原で見た狐(上巻) Copyright 板谷みきょう 2025-11-28 19:19:33
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