ももくりさんねんかきはちねん
百(ももと読みます)


 いつものように入浴中にからだのあちこち揉んでいた。リンパ腺を刺激することで、ほとんどあせをかけない体質のぼくでも額からなにかが溢れてくるんだ。背中側のわきのしたを念いりに揉むとてきめんだよ。



 いつものことして浴槽から立ちあがって、髪のけをアレッポのせっけんであわあわにしていた。ぁ、っていう瞬間から鈍い吐き気を覚えた。それから、耳鳴りが左耳からやってきて、身体をつきぬけるかのように、その音が右耳へと移動した。そしてまた、ぁ、ってなって、目の前からいろが失せたんだ。



 猛烈な目眩だった。おずおずとしゃがみこむ。それでも惰性で髪を洗おうとして、すぐにそれが無謀だとわかった。シャワーをもとの場所に戻して蛇口をひねって、そのままの姿勢でぬるめのお湯をあたまに当てていた。



 思わず息がくるしくて、はやくお風呂場からでたくなった。ぼくはお風呂がすきで、からだも奇麗にあらうほうだ。きょうはそれができない。



 色彩を感じないセカイで、いままでぼくに優しくしてくれたひとの面影が浮かんでいた。遠い詩友のこと、恋人でいてくれた優しいあの子、そして、家族のこと。



 お風呂場からでられたらお電話できればいいと家族について考えて。ちょうど風邪をひいているときとおなじように命に関わることとも錯覚してしまって、すこし弱気にほほ笑んだ。



 浴室のドアーを開けて、それを閉じることもできないままで、その場にしゃがんでじいっとしていた。凝視するほどの真面目なときのながれ。しばらくするとバスタオルを手にとることができて、いつも通りに洗濯機のボタンを風乾燥へと操作して、ゴーって音で洗濯槽へとみずの注ぎこむ音が聴こえた。



 冷たいルイボスティーを飲みつつ、白湯を飲む習慣が必要やなって、ぼんやりと考えていた。



 空気清浄機のいい音がしている。お布団のなかにいる。おとうさんの携帯電話へと半年ぶりにお電話をおかけした。



 ぼくとおとうさんの誕生日はスピリチュアルでいうとソウルメイトであるらしいこと、いま、お仕事は順調ですか、おかあさんとおとうさん、家族の老後をぼくがみるね、そのときは、お隣り同志のアパートメントのお部屋をお借りしようよね、ぼくはそういって、めずらしく、おとうさんとの対話で泪ぐんだ。



 目眩を起こしたときに優しいひとたちのことがあたまに浮かんで、ぁ、ぼく、まだ優しいきもち、残っとるって嬉しいなって、優しいこと、お送りしてくれたひとたちへと責任もって大切にせなあかんよって。



 ありがとうって、ぼくがいって、それからすぐに、ごめんなって、おとうさんへとお伝えした。おとうさんはええよって、いーちゃん、優しいなっていってくれて。ぼくは、おとうさんが優しいよって。



 おとうさんはアート・ガーファンクルがすきだ。グレン・フライの曲も車のなかでよくながれていた。



 おとうさんのすきなキャット・スティーヴンスの曲に「Rubylove」がある。ルビー、愛しいひと、きみは、ぼくの光りとなる、きみは、ぼくの昼と夜の光り、それから今夜、きみは、ぼくのものとなる。



 ぼくのふるい筆名はるびだから、すこしキャットがくすぐったい。



「Morning Has Broken」お聴きしている。こちらの曲でもキャットの真面目さがむねに響く。おんがくって、こんなにいいのだな。目から鱗がぽとりと落ちてゆくよ。



 おとうさんは大林宣彦監督の映像作品「時をかける少女」の劇中歌をよく歌っていた。ももくりさんねんかきはちねん。



 ぼくでも家族がすきになれたよ。戻ってこられたよ。ぼくの哀しみ伝わって、うちなる悲鳴を抱きしめてくれたこの夏の大切な恋人にも、ありがとうって。きみがいて嬉しいのは、ぼくも、ぼくたちも、みんなだよって、すごく素直になれる夜だ。もも


散文(批評随筆小説等) ももくりさんねんかきはちねん Copyright 百(ももと読みます) 2025-11-26 22:00:01
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