鬼吉と春一番(修正版)
板谷みきょう

ぐるうりと、ぐるり山に囲まれた、この谷間の村だで。
寒い季節になると、ほれ、屏風山から山おろしの風が、
「ごうごうっ、ごうごうっ。」って
まんず烈しく唸るんじゃ。
その、ずっと向こう、白むくのせせらぎの峰に、
桃色のおっきなお月さまが、ぽぉんと浮かんでおる。

ちょうど、ばっちゃが、お前くらいの年の頃じゃった。
その晩、まんだらの静かな夜に、ばっちゃのばっちゃが、そっと話してくれたんじゃ。
「布団さ、しんと入って、だまって聞いてれ。
まなこさ閉じて、心を静かに聞いてれって。
これは昔々の、もう、ずうっと古い話だんだ。

この村に、ツノの生えた子どもがおったのよ。
その名は、吉って云うんだ。
ふつうの男の子ども、だったんだけんど、
ある晩、あやしげな熱に、取り憑かれたんだと。
したら、あの、デコの両方のこめかみのトコの少し上あたりだ。
二本のツノが、かちり、かちりと生えてしまったんだと。

村人たちは、そりゃあ、びっくりこいて驚くべ。おっかねがってよ。それ、夜中に集まってよぉ、額ば寄せてひそひそ囁いたんだと。
「ツノぉ生えた子は、きっと。鬼になる。」って。
――昔っからの、言い伝えだんだもの。
村人たちは、吉のことば“いぎょう”って、恐れてよぉ、
村から追い出そうとしたんだと。“ムラハチブ”ってのぉ。

したけども、吉には、幼馴染みの澄乃がおったんじゃ。
澄乃は、世間の善し悪しなんぞ解らんべ、けがれねぇ心の娘だもの。
二人は「ふもとの原」や「ぬらくら川」で、村のわらしっこと仲良く遊んでたんだ。
だども、吉のツノのせいで、だんだんと、ちろりちろりと吉を避けるようになったんだ。

そりゃあ、澄乃は悩んだべさ。胸のずっと奥だ、魂が、きりきりと痛むほど悩んだべ。
吉と遊びてぇ。んだども、もし、えんがちょ切られたら…吉ば助けることもできねぇくなるじゃ。
澄乃は、自分のことより、吉のいのちば、考えてまったんだべな。
“ムラハチブ”になれば、誰も吉に近づけなくなるべ。
そりゃ、寂しすぎるべさ。
いのち奪うくれぇの“コドク”ば、意味してるんじゃし。

だから澄乃は、吉を村から遠くさ、離すことにして、
すんごく、辛ぇことを、決めたんだ。
心の奥のずっと深いとこで、吉への想いを、ぎゅうっと、抱きしめてよぉ、
ふるえる唇で、別れを告げたんじゃと。
「やっぱし、のけ者は嫌だからよう。もう、遊びに来ねぇでけれ」
そりゃあ、吉を救うための、哀しくて辛ぇ、ウソだったんだ。
だのによぉ。

その夜、ザンザン降りの雨ん中で、吉は、そっと、村を離れたんだとよ。
そして村中に噂が立った。
「吉は屏風山の山奥深くで、獣をむさぼり、草をくらって、鬼になった」と。
村人たちは、おっかねぇがって、村の安泰のために、
偉ぇ坊様によぉ。「願掛け祈祷」ば頼んだのよ。
村の入り口、全部に、お札を貼ってもらってよぉ。

だども、澄乃だけ、村の決まりごとを破るみてぇに、吉の帰りを願ってたんだ。
「わたしの吉は どこにいる
山の小鳥よ 伝えておくれ
わたしはいまでも 待っている」
いつのまにか、吉は屏風山の主となってたんだ。
彼の耳は、もう、ちっぽけな虫の足音から、山向こうの星のまたたきまで
感じ取れるくらいに鋭くなってたんだとよ。
見るからに、吉の姿ぁ、鬼そのものになってたんだ。

ある日、澄乃の歌声は、木の葉の隙間を縫って届く。小鳥たちが真似して
「キチ、キチ、キチ」とこだまし、森じゅうに響いたんだってよ。
吉は聞いた。硬い鬼の胸の奥底で。
まだ、やわらかい人間の面影が、ぎゅうっと締め付けられるんだべなぁ。
「俺は…俺は、まだ人間でいてぇ。澄乃に逢いてぇ。俺は吉だ。
お前が、一人で、苦しんでるんなら、俺が、助けに戻ってくぞぉー。」

吉は、真っ赤な火のような形相の鬼となって、はやてのように村へ向かった。
屏風山から「ごうごうっ!」と怒涛の音を立てながら。
それは、澄乃を想う、切なく、純粋な、助け合う心の風だったんだ。

したけども、村の境に着くと、
村人の強すぎる「悪を拒む心」と、
吉の澄乃への「優しさ」がぶつかり合った。
鬼の姿は、からりと消えて、澄乃の家の垣根をゆらりと揺らしたのは、
春一番の、ちから強い風だった。

ばっちゃは思う。鬼の姿で戻れば、澄乃も村も傷つく。
だから吉は、「鬼」を脱ぎ捨て、「風」になったんだって。

「おら、澄乃ば、助けてんだ。村ば恨んじゃなんねぇし。おらは、澄乃と村の…」
――それは、吉の魂の叫びだったけんど。
言葉の最後は、冷てぇ風に搔き消されて、
澄乃の家の垣根を揺らしたのは、春の訪れを告げた風。

よう頑張ったのぉー。よう耐えたのぉー。
春だじゃ、春だじゃ。
これから、春が来るどぉーってのぉ

さっ。寝てまぇ。吉は、風となったんだべ。毎年、毎年、必ず、春を知らせに来る。
誰も、一人ぼっちにしない、いつまでも続く、助け合いの風じゃ。
お前は目を閉じて、やさしい風に耳を澄ませてみろ。
山も海も、森も川も、鳥も魚も、木も草も、善いも悪いも。
みぃーんな、しんしんと笑ってるのが、分かるじゃろ。

「明日は、きっと、春の光みてぇんた、ほっこり、優しい日になるんだべなぁ。のう。」
ばっちゃは、布団に、ちいさく寄り添って、そっと言った。


※原作「鬼になった子供(鬼吉と春一番)」を修正しました
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=133994


散文(批評随筆小説等) 鬼吉と春一番(修正版) Copyright 板谷みきょう 2025-11-26 21:37:42
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