3(ミ)
百(ももと読みます)

ひとりぼっちのお部屋
11-17-2025

 くるしみの最中に漕ぎだす舟といったところか。数珠つなぎで血の顔をする光りの洪水のなかでながれでるこの哀しみはなんだろう。

 ぽたぽたと落ちるしずくを手に集めると胎児のようなぼくがいて、息、していないって、気づいた瞬間から夢が明けてゆく。

 はっと気づくと、アパートメントにぼくはいて、朝の時間のすこし前にいなくなった夢のカケラについて想う。



 ぼくのことは死んだことにして。オトウサンの前でも、ぼくの名前をくちにだしてはいけないよ。ぼくは生まれないでいい命だ。

 お眠りする前日の昼間に、おかあさんへと確かにそうお伝えしたのだ。お話しの途中で、誰かきた、いーちゃんごめんよ、といって、おかあさんからお電話を切った。

 ガジェットの画面が連絡先へと戻る。ぼくは静けさの高鳴りのもと、半年ぶりに対話を試みた両親の電話番号を再び着信拒否へと設定した。

 おぼつかないあしどりで無力さのこだまするひとりぼっちのお部屋からとぼとぼとでてゆくのは、喪失という名前をうながす負け犬などではない。



 深く息を吐くと、生きた心地としての自然の音が窓から聴こえてくる。田舎町の街路樹の茂みへとあわてて隠れたすずめのことなど、数日前の秋がふいにあたまをよぎって、ぼくはうすくほほ笑む。

 わからないままを装って、ごまかしするほど仲良くなどないのだなって、以前の気持ち、戻ってきた。

 耐えて忍んで一喜一憂するよりは、ぶち殺すぞといった具合ではねのける。

 理不尽なまでの憂うつをそのままとして、実家であった家族からの加虐について、ようやくぼくは思いだすのだった。


差しださないとっ!
11-18-2025

 白っぽい風が吹いている。柔らかい孤独と似た場所にいつでも立ちよる想いがする。今月末に就労継続支援A型の体験利用がはじまる。

 どの人間も障碍などでない。誰だって障碍物を回りこんで到着するレースへの参加資格があるのだ。

 リモートを利用するもの、ロボットと人工知能の活用、動くほうの身体で思いきり走りだすもの。

 そしてまた、静物であれ、障碍などでない。分け隔てない社会の通念を熱弁するためには弱気に挫けるものへと差しだす気持ちが必要だ。

 働くことはこころを働かせることであるから、いくらでもいぢけておられる立場でいられるわけもない。ぼくもきちんと差しださないとっ!



 ぼくのこころをわかって欲しいと願うばかりの日常がスタンダードになることはなかった。生きるためには食べる必要がある。

 おこめ、お野菜、おにくに溢れるスーパーマーケットの陳列棚のどれもこれもの食品がぼくのチカラでは成せない労力をもとに生産されていることを知る。

 びっくりする。トマトもどこか、えへんっていう感じだ。



 光りの余韻を楽しんでいる。さきほど、おかあさんへとお電話をおかけした。

 味わい尽くせぬむねの傷みは、ぼくが自傷で得たものである可能性もある。意図せぬかたちでしばかれたあとでも食べるの、ぼくは平気でやっていた。

 まだ、オトウサンというひとについて、オトウサンという名前のかたなのだと思いこむことで、いまの自分から目を背けることもある。勧善懲悪など、どこにあるのだろうか。

 傷ついたことの後悔がいまの自分をゆっくりと殺め続ける限り、なす術もなくときはすぎ去る。

 たくさんの後悔がいいわけとして、かたちづくることに慣れてしまえば、ぼくは生涯、障碍を防具として生活を保護された運命のち、野垂れ死にすることだろう。

 こわいものは、みんな死んでしまった。いまを始発として、単なる等しい点として、命のカケラを社会へと返還させることができれば、どんなにいいだろう!


命は無辜
11-19-2025

 歩くことは無限の強さをぼくへと与える。雲のながれをみていた。この街の図書館は軒が深くて守られている気持ちのよさでベンチに座ることができる。

 ベンチはひとつだけあって、ほとんど誰も座らないようだ。

 図書の返却に館内へと移動する前に感覚緩和のためのイヤマフや保護めがね、顔を覆うマスクなど、全てはずして、まるでまる裸の気分となってから、ぼくはベンチに腰かける。



 ひとりぼっちでゆっくりと深呼吸できるのは、いつでも自然のながれを感じているとき。

 雲はずっと生まれている。かわいいし、そちらにはひとの気配を感じない。



 意識的に息をするでなく、心地よい風を吹かすこと。そんなセカイとならば心中してもいい。それでも、セカイはぼくを活かす。

 気持ちいいな、風だなって、青もいる、ながれてゆく場所にぼくの居場所もあってくれる!

 うれしいってことだらけ。命は無辜。曖昧模糊なんか吹き飛ばせ。ぼくは生きるのがだいすき。





 すきな言葉は、おかあさん。ぼくのだいすきなひとは、おかあさんだ。

 うすく溢れた泪のいろはみえない。それが生きているってことだ。

 ぼくからみえないところで、ぼくはひとに愛されている。それを愛と呼ばずに、どうして、しらけていられよう!


散文(批評随筆小説等) 3(ミ) Copyright 百(ももと読みます) 2025-11-19 18:00:04
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