抒情詩 Ⅴ
岡部淳太郎
この世はすべて抒情詩。人々が右だの左だのそれぞれ
の勝手な席に座っている間、俺は翼のない旅をつづけ
ている。翼がないということは飛べないということで
あるが、右でも左でもどちらか片翼だけでも飛べない
のは間違いないところだ。俺は翼のない旅をしている
ゆえ、ゆっくりとではあるが、確実に歩いている。こ
の世はすべて抒情詩であるから、それを意識して、俺
は歩きつづけている。それからこれまでになかったよ
うな早い苗が植えられてそれに危機感を持った人々が
左の席から文句を言っているが、そんなこともすべて
は抒情詩の風景として通り過ぎてしまう。結局この世
のすべては抒情詩なのだから、この世の事象はすべて
抒情のなかに還元されてしまう。つまりは、どんな悲
惨も喜びや幸福と同じく抒情であるのだ。この世はす
べて抒情詩。その観点から見れば、残酷ではあるけれ
ども、すべての死も抒情詩でしかないのだ。かつて俺
は「観察者としてのわが人生」という時句を書きつけ
たことがあったが、この世はすべてただ観察するため
にのみあって、決してそれに対して能動的に働きかけ
てはならない。孤独を恐れる者のみが、あのような思
想に共感しうる。俺は孤独を恐れないから、自らの孤
独と詩を第一として、生活が第二、政治思想など二の
次であるのだ。そうしてこの世は豊穣な抒情の大地と
なる。この世はすべて抒情詩。それらの詩を読んで味
わう至福が、俺たちにはまだ残されているのだから。
(2025年11月)