見えているのなら難しくない
ホロウ・シカエルボク
常に高速で回転し続けている脳味噌がオーバーヒートしないことは我ながら驚くべきことだと言わざるを得ないがそれでも時々は余計な邪魔が入ったりして中断せざるを得ない瞬間がある、そういう邪魔を仕掛けるのも間違いなく自分自身なのだがそれはほとんど別人といってもいいくらいのパーソナリティーの違いというものがあり言ってみれば俺の抜殻みたいなものだ、どうしたって人間はそういう意に反する存在というものを抱えているがそれに気づくことが出来るのは規律や規則でがんじがらめになっている人間じゃない、それは俺のように自分の為に生き続けている人間にしか気づくことが出来ない、俺は時折そいつに出会う瞬間に十代の頃の自分と対峙しているかのような錯覚を覚える、手段の少ないあの頃には間違いなく抜殻で居る時間の方が長かった、それは間違いない、今よりも確かに身近に死を感じていたような気がする、生きながら死んでいたのだ、リビングデッドというやつだ、ただひとつ、演劇をやっている時だけが無性に楽しかった、その時だけ自分は生きているのだと感じることが出来た、舞台に立つことに夢中になっていた、でもそんな瞬間を感じれば感じるほど、日常は苦痛になっていった、阿呆の真似をしているうちに本物の阿呆になってしまうのではないかというような居心地の悪さをずっと感じていた、その頃には理解していた、俺はあらかじめ定められたものに従って生きるのが苦手な人間なのだと、それを無条件に受け入れて生真面目に頑張っている連中のことが気持ち悪かった、彼らはそういうものにきちんと従いつつも自分は牙を持っているのだという風に装っていた、留年もせずに卒業したパンク気取りとか居たよ、まあそんな話は全然関係がないんだけど、俺はずっと生きることについて考えていた、確かな手段を手に入れるまではそれは死にたくないからだったような気がする、小蝿のように付き纏ってくるそれを何とかして振り払おうとしていたのだ、少数の人間だけで短い芝居を何本かやった、そのあと、ちまちまやっていても駄目だと思って文章を書き始めた、場所を選ばない、時間を選ばない、道具が要らない、その上で即興的に、自分がその時考えていることをある程度正確に残すことが出来る、そういう、準備や用意が要らないところがとても気に入った、そしてそれは、決まった形を整えてそれに近付いていこうという演劇のやり方よりも、俺に向いていた、俺が求めていたのは自分自身をいかに解放するのかという手段だったのだ、それは生きるというよりも、ある行為の間だけもっとも生きているというような状態であるということだった、俺は狂ったように文章を書いた、今思い返してもあの頃の俺は、何かにとり憑かれているみたいだった、暇さえあれば文章を繋ぎ続けた、一年かそこらそれは続いた、狂ったように書き続けていた俺はある時夢が冷めたかのように書けなくなっていた、それは技術的にというよりは気分的にとでもいうようなものだった、どんなに言葉を積み上げても気分が乗らなかった、頭が真っ白になってどこまでも指が動き続けるようなあの感じがどうしても戻って来なくなった、それがないことが愚かにも俺の判断を鈍らせた、本来自分がどんなテンションで書いていようが、読んでいる側にはそんなこと関係が無いのだ、その時の俺にはそんなことわからなかった、気分が乗っていないからこれは良くないものだと感じていた、はっきり言っておこう、魂は字面には乗らない、気構えとしてそういうものを持っているのは別に悪いことじゃない、けれど、出来上がったものにまでそれを求めるのは間違いというものだ、先にも言ったように気持ちと作品というものにあまり関係はない、そこにはただ気持ちが乗っているか乗っていないかという違いしかない、惑わされてはいけない、文章というのはそいつの資質みたいなもので、それはテンションの高さで変わったりしない、そこにはただ気持ちが乗っているかいないかという違いしかないのだ、俺は短い詩を書き始めた、それからだんだん長いものを書くようになった、いろんな書き方でいろいろなものを書いた、その結果ようやくそのことに気付くことが出来たのだ、自分だけで決めてはならない、初めて訪れた土地で周囲の景色をよく見て判断するみたいに決めていかなければならない、そういうやり方を覚えていけばどんな風にだって書くことが出来る、もちろん、自分自身が書くべきものを持っていればというのは大前提だけれど、わかるかい?美学は必要かもしれない、でもそれが窮屈になるようなものであってはいけない、美学と自由度は反比例ではない、共に磨いていくことだって出来る、そうさ、だって俺はいつだって詩情を求めている、自分自身の中で渦巻いているそれを吐き出そうと目論んでいる、これまで随分たくさんの文章を書いた、でもそれは無くなったことがない、書き終えたそばから新しい機会を求めている、もしかしたら俺はいまでもとり憑かれたみたいに書いているのかもしれない、でもそんなことどうでもいいじゃないか、書き上げた夜にはぐっすり眠ることが出来る、それはつまり、自分が正しいことをしているという証明に他ならないのさ。