踊りな、人形たち
ホロウ・シカエルボク
風を待つ帆船と同じ速度で混沌に因る僅かな乱れはやって来る、でももうそんなものに狼狽える歳じゃない、それは蕁麻疹みたいなもので、なにかしら対処をすれば収まるものだということを俺は知っている―それを知らなかった頃、あまり長くは生きられないだろうと思っていた、その方が潔かったかもしれないと考えることもなくはないが、けれど結局のところ、生きてみせることが出来ている現在はまずまずというべきだろう、俺は自分がするべきことの選択を間違わなかった、それは誇るべきことだ、まあ、あんまり声高に言うようなことでもないけれど…自分がなにをするべきか理解していれば人間はそんなに間違えることはない、どんなことに手を出しても根本にあるもののおかげでひとつにまとめることが出来る―ひとつの名前で呼ぶことが出来る、進化とは上着を変えて見せることじゃない、その服を着ている理由を示して見せることだ、そうは思わないか?髪の色を変えてみたり、ピアスだなんだと装飾品で飾ってみたりしても、顔そのものは変わらない、あらゆる物事には理由というものが存在する、それが意識的なものか無意識的なものかは問う必要は無い、それを選択した理由がきちんとしたものなら人はすべてを聞かなくても納得するものだし、ほんのささやかなハッタリみたいなものだったならああそうと鼻で笑われるだけだ、本質から外れてしまうことはそれがどんなにスタイリッシュなものであっても間抜けには違いないからね、そういうのって受け取る側は本能的に見極めるんだよ、もちろん、ある程度心得た連中はということだけどね、それは当然のことなのさ、だって誰も、嘘事をわざわざ見たいなんて思いもしないだろう、そんなもの、テレビの音楽番組を半時間も観れば理解出来ることだからさ、生身の表現にはある種のにおいみたいなものがあるよ、こいつは信用出来るって無意識に思わせてくれるきっかけみたいなものをちゃんと持ってる、それは理に適ってるものじゃない、こうだからこうだという法則を持ち合わせていない、けれど一度目にすればすぐに理解することが出来る…そんなの馬鹿げていると思うかい、でも、こういうのって当り前にあることなんだぜ、と言うか、こういう風なことこそがむしろ当り前というものなんだ、生身で生きていれば辻褄なんて合わないことの方が圧倒的に多い、それを思考で捻じ曲げようとして人間はおかしくなってしまった、社会は捻じ曲がってしまった、頑張れば出来るとか、勉強したから賢いとか、最新型だから格好いいとかね、こうしたからこうなるっていう型にバッチリハマっていないとおかしいっていう考え方になってしまっている、だから一度そのルートから外れると狼狽えて何もすることが出来ない、同じ場所で小理屈ばっかり捏ねてしまうわけさ、そんなの言ってしまえば、生きる覚悟が足りないんだよ、安定が約束された場所でフローチャートをなぞるだけならもう現実として生きる理由もあまりないんじゃないか、攻略本と照らし合わせながらテレビゲームを解くようなものさ、もちろんクリアーしたという実績は残るけれど、そこから自分自身に返って来るものがあるのかと言えば答えはノーだろう、完全にノーだ、そいつは自分の脳味噌をきちんと動かしていない、書かれてあることをそのままなぞっただけだ、それは本当の意味でクリアーではない、自分で時間をかけて見つけ出さなければ実績を残すことは出来ても実感として感じることが出来ない、世間を見回してみなよ、皆そういうことを平気でやり続けてる、すでにあるものを鵜呑みにしてその通りに生活や仕事をこなしていく、だから結果を出すことが出来ても頭の中に霧がかかっているみたいな顔をして歩いている、成長というものがまるで無いんだ、ただチェックポイントを通過したからそれでOK、みたいなことしかしていないからね、しかも下手したら、自分でアクセルを踏んですらいない、街がどんよりするのは当り前のことさ、街はそれ自体がまるで巨大な不浄物霊のようだと思うことがよくあるよ、人間としての本質が飢えて渇いている、我知らず満たされたふりをしているうちに心底飢えてしまっているんだ、いつまでそうしているんだ、まるで着飾った餓鬼の群れだ、痩せ細った心を悟られまいと感情表現だけが豊かになる、でも後ろめたさがあるせいですべてが中途半端になるのさ、負い目の正体さえ探れば出口はすぐそこだっていうのにな、自分の心に真っ当に生きたって幸せになれるわけじゃない、だけど、懸命さに伴う手応えや成長は必ずそこにあるし、その為にクソみたいな明日をきちんと迎える覚悟だって出来る、人間の本質なしには人間は人間でいることは出来ない、それは現在がありありと証明しているじゃないか?命に貪欲であるうちは人間は老いたりしない、若さを特権だと思うような連中は老けるのが早いだろうけどね…。