シュールレアリズムに関する持論 X(Twitter)より抜粋
りつ
トーテムポールで隊列行進
宇宙バルーンが吹っ飛び
目ん玉に空の切れはし
鏡を割る
いけない子だと鵲が水浴び
西成の醸造アルコールで
ラジオがシャットダウン
ブスの破壊力をブラックホールが吸う
1+1=3
炭酸の狂い咲き
三輪車にロケットブースター
マンホールの裏側はにょろり
(シュールレアリズムの詩を書いてみました)
シュールレアリズムに関する持論⑴
シュールレアリズムが無意識の領域を表現するものならば、
考えずに書くのが純粋な在り方だと思う。考えた時点で“自己”という意識を纏い、カタチを模索する。
それはもはや無意識ではない。
で、やってみた。こんなデタラメに詩情は無い!
シュールレアリズムに関する持論⑵
ことばそのものを破壊しようとすることに、どんな意味があるのか?
ブッ飛ぶ。
ゴキゲンでハイな様子は伝わってきても、所詮それだけ。
ビートルズは完璧で、いつだって新しい。
詩だって、同じなのでは?
シュールレアリズムに関する持論⑶
シュールレアリズムを突き詰めると、
まるっきり、だれにも感覚的にも理解されない詩、
まるっきり、だれにも感覚的にも理解されない絵、になる。
それに何の意味がある?
シュールレアリズムの申し子たちが天才なのは、
ギリギリ理解できる表現をするからだ。
シュールレアリズムに関する持論⑷
真のシュールレアリズムを表現できるのは、完璧な狂人だけだ。
結論
詩なら、ことばの先にある何かを表現する。
絵なら、基本に忠実であればこそ、
前衛的な絵でも絵の具の向こうを表現する。
踊りなら、ふとした仕草にすら感動する。
それが、芸術の未来だ。
おまけ
もっとも簡単なシュールレアリズムの詩は、
ことばの入力ミスを、そのまま提示すれば良い。
携帯で、フリック入力じゃないもんで、
指が滑って、意味がないことばの羅列ができるからね。
それだって面白いのだけれども。
だって、入力ミスって究極の“無意識”だもん。笑