こころのかける  涙の一滴(ひとしずく)
洗貝新


 零れおちる一滴を口にした

これは絶命を前にした人の、閉じた眼から涙を掬うという
誰かが書き記した言葉である
多くに看取られて冥土へ旅立つ者もいれば
ひとり、寂寞と三瀬川を渡る者もいる
安らかな臨終の気配には
静かな嗚咽の涙腺だけが響きわたる

 涙はこころの汗だと歌われる

スポーツを題材にした青春ドラマの主題歌にある
ほとばしる汗を引きつれて溢れ出る涙
悲しみや喜びを飛び越えて
なんとも爽やかに飛沫する表現だろう
こころの汗がその躍動を表す涙ならば
肉体を離れては沈み去っていく
その静的な涙とは一体何で表せばよいのか
目的が成就したときの喜び
失った者たちへの哀しみ
憎しみと怒りに滾る波の泡
画面を通して
誘われるままにもらい泣きする感動
己を悔い戒める、自責の念

娘の婚姻の席で、一人だけ嗚咽する兄を怪訝な顔で眺めていた。
その喜びの日には相応しくもない暗く俯いた表情で
それは祝福とともに浮かべる涙や
寂しさのあまりに出てくる感涙だとも思われなかった。
親として目一杯のことをしてやれなかったという
自責の念に駆られた悔恨の涙ではなかったのか
彼は過去の栄光を捨てきれなかった。
色褪せた現実は自蔑という思いに囚われ
腫れあがる瞼を辿りながら私に伝わってきた。

そのことが理解できたのは母親の葬式だった。
法話に立つ僧侶をまえにして
私のすすり泣く嗚咽は留まることがなかった。
皆が呆れるほどに
止むことはなかった。
啀みあいもつれ合ったままの関係に
何よりも互いに伝えきれなかったという
虚しさと自蔑の念から
私は感情を抑えきれなかったのだ。

肉体から溢れ出る涙はこころの汗だという
ならば精神から滲み出る涙は何と表せばよいのか
それは、零れおちる、こころのかけら(一滴)ではないのだろうか。



 


自由詩 こころのかける  涙の一滴(ひとしずく) Copyright 洗貝新 2025-09-09 01:10:17
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